消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

生活保護と資本主義と自然科学の仕組み

昨日生活保護について愚痴をぶちまけたところ
ハム速にも生活保護スレが上がっていた。

http://hamusoku.com/archives/2147908.html


この中で「ベーシック・インカム」の話が出てくるんだがー
それはさておき。


働いたら負けかなと思ってる」に代表される一言の裏側には
何人もの労働者がいる。当たり前だが生活保護の財源は税金であり
税金は労働者が稼ぎ出している。
働いたら負けかなと思ってる生活保護者を何人かの労働者が「養って」いる状態だ。


もし「働いたら負けかな」が事実だとして
多くの人がその事に気づき実践したら「働かなかったら勝ち」という
逆説は成立しなくなる。


この「働いたら負けかな」の中に含まれている思いは労働対価であり
自分自身の労働に対する正当な対価が得られない、
サラリーマン(こき使われる身)では得られる可能性がない、という不満に
端を発している。


それはまず始まりから間違えている。
労働した分稼げている人間は少ない。
ここで「労働=労働時間」とするとして、
その時間分稼げている社員は少ないはずである。
2:8の法則である。
会社の履歴の殆どは2割の優秀な(あるいは効率のよい)社員が算出しているという法則。
逆に言えば8割は負債である。


じゃあその2割だけで会社を作ればいいというナチズムに話が行くわけだけれども
昆虫の蟻を例に取ると、(やはり蟻社会も2:8の法則で運営されている)
優秀な働き蟻2割だけを別のところへ移設すると、そのうちの8割は働かなくなってしまうのである。
一方、残された8割のコミュニティの方は、そのうち2割が働き出し運営がなされる、と。


蟻と人間を一緒にしてはまずいだろうか?
でも私はこんな風に考えてみた。
「8割が予備役として確保されるのが自然物理なのではないか」と。
……自然物理という言葉が正しいのかはわからないけれど。


10割が一生懸命働いて10割が過労死したら種族の死滅である。
働かない8割は予備役として、言い方をかえるとただの構成員として存在している。
数は力である。
数は多い方がいい。威力があるし威嚇ができる。
暴力団の構成を考えてみるとなんとなく一致する。


予備としての8割の無駄を持つ、と考えると
「それは多すぎるだろう」と思ってしまうのだが
自然が、物理が、宇宙の法則が、そのように仕向けている、のかもしれない。
2:8の法則が随所に見受けられるからだ。


なので、サラリーマン諸氏におかれましては
自分が搾取されていると思う場合、自分は予備役に過ぎない8割であり
利益を稼ぎ出していないのでお小遣い程度の収入を「もらう」のでやむ得ない、
と考えるべきである。

あるいは自分は優秀なサイドの2割であるが
8割の予備役を養うために人柱とならざるえない宿命を理解するべきである。


ここで、この役立たずの8割についてなのだけれど
会社の中の社員8割、ならまだわかる。
世界の、社会の、ニート生活保護母子加算だと唸っている役立たずども、
これらも「8割」に加えるべきだろうか?

サラリーマン、という「働き蟻」2割が
無生産者8割を養う構図が正しいのだろうか。


……そうなのかもしれない。
いや、ニート生活保護受給者と母子加算は死んでいいと思う。
でも種族を家族で考えてみる。

祖父母






上記構成で父のみが生産者だとすると
(今は母の生産補助者としての権利が認められてるがそれはさておき)
7分の1。
2:8の法則に近似してくる。
大家族で考えるとより近似値を出すのではなかろうか。



家族
種族
こういう単位でも2:8の生産者、非生産者の関係が現れてくる、
そういう自然科学。


あれ? でも待てよ?
祖父母も母も子どもたちも、ニート生活保護母子加算じゃないよな??
自然に「「家族」だよな?
祖父母は生産者としての役割を終えた人たちだし、
子どもたちは生産者になる候補、である。


てことは予備役の8割、埋まってね?


だからニート生活保護母子加算は死んでいいのである。
生産者が養うべき8割はもう埋まっているのである。