消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

自分は二人いない

バンドをやっていたとき、
リーダの言うことがよくわからなくてなにやらも。
リーダも先生じゃねぇしお母さんでもねぇし
ただ曲としてあるイメージを形にしたいだけなわけだから
そりゃお前の理解とか気持ちとかよりまずは形作れよっつって
そんでもうとにかくこうやれ、って
バカでもわかるようにやることだけを指示するわけだ。

そうして出来上がったレコーディングを聞くと
あーなるほど、あいつが求めていた形ってそういうもんなんだって
全部集まってピースがひとつひとつはまって
それで始めて形になってようやっとあいつのやりたかった事、
形ってやつが見えてわかったりすることがあるんで

そういう時俺は歯車とかピースとか末端とか
まぁ呼び方はなんでもいいんだけど、
そういう時に俺側の納得度とか満足感とか
そういうのは二の次、どうでもいい。

作品をどう完成させるか。
どうやってイメージにちかづけるか。
何を組み合わせて何にするか。

個々人の話はどうでもいいのだ。
作品のために何を利用するか。
どれからどんな力、魅力、意味を引き出すか。

ビジョン。

出来上がりを見てようやくわかる。
自分がその完成形のどこに位置し何を表したのか。
パーツにすぎない自分が全体像を把握する必要はない。
頭はひとつ。目は二つ。
それ以上はいらないだろう?
プロジェクトの一部である時、
メンバは作品を形作るピースとなってそこにいて
求められている役割に最大限の効果と成果を出すべきなんだ。
ピースとして。パーツとして。

理解とか納得とかはひとまず横においとこう。
自分の納得は別にいいんだ。
信じることだろ。
完成形に近づいてると信じること。
信じさせれば、リーダの勝ち。
リーダを信じてついていけば、きっと完成する、
そう信じることで役割に没頭できる。
それがベストのパフォーマンスなんだ。

だからリーダは、まず信じさせなきゃならん。
なかなか。自分自身さえ信じきれないもんなんだが、
自分ぐらい騙せなくて、
他のみんなを引っ張れるかよ。