消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

瓦礫からの復興は、誰のため? 誰の力で?

東北大震災からの復興に向けて
当初から多くの施策が打たれている、のだろう。
世界各国からも大量の義援金が届き、
我々国民にも復興増税がきているようである。
東京電力の値上げも間接的には復興増税と言っていいと思う。

少しずつではあっても、着実に・・・
それが我々日本人の粘り強さと諦めない心、
そう思って誰もが「がんばろう!」と。
「絆」と。
そう声を出しているのだろう。


だが、個人的に、どうしても腑に落ちない件があった。
瓦礫、である。

東北大地震と、それに覆いかぶさるように発生した津波
沿岸地域の家、ビル、工場、船までも押し流し
累々たる廃墟に変えてしまった。
のっぺらに平らにのされてしまった大地に
点々と海水の水たまりが覗く中に
チグハグな絵画を思わせる打ち上げられた船舶が
どこに向かうでもなく朽ち果てているのだった。

世界が壊れた。
まさにそんな惨状であった。
自衛隊の救出作業が瓦礫を押しのけ、
多くの命を救い、
それをはるかに越える葬儀が執り行われた。

多くの涙が流れた後に、そして、
人々の営みの証であったものがすべて瓦礫となって
海岸線にうず高く積まれることになった。
瓦礫。
無作為に積み上げられたそれは
破戒と混沌の象徴として
見るものに恐怖と、それ以上の無力感を懐かせるものであった。

そしてやがて、にわかに起こった動きがある。
「瓦礫、受け入れ」
震災地の海岸線を埋め尽くさんばかりの瓦礫を
都道府県にて受け入れて処分しよう、という動きである。
被災地を助け、苦労を分かち合い、少しでも早く笑顔を取り戻すため、
日本人の誰もが「東北復興」を胸に抱いた。
・・・だが

「瓦礫、受け入れ?」
私の中でずっと謎だった。ずっとわだかまっていた。
瓦礫を? 運んで? 受け入れる? どこが? 他県が?
それ・・・被災地の復興に役に立つのか?
だって、瓦礫だろ?
今置いてるんだろ?
邪魔だろうけれど、そりゃ邪魔だろうけれど、
邪魔すぎて復興できないほど邪魔なのか?
俺、見に行ったけど、瓦礫の山見て、本当に無力感に苛まれたけど
それから更地になってしまった津波の爪痕も見たけれど、
呆然とする他なかったけど

でも、その時点ではっきりとわかることがあった。
瓦礫は、そこまで邪魔じゃない。

もちろん邪魔だよ? 処分しなきゃならないよ?
でも、今日明日にでもどけないと復興のしようがない、
なんてことがあるようには見えなかった。
津波のあとの更地には、十分家をたてる余地があった。
工場跡地なんかに瓦礫を積んでたわけだけれども
その場所をすぐに空けなければ何もできない、なんてことは全然なかった。

はっきり言って、都会以外は土地が余っている。
山もある。
森もある。
瓦礫を退避させておく場所くらいある。

それなのに、それなのに、
なぜ、大量の瓦礫を、多くの輸送費と労力をかけて
県外へ運びださなくてはならないのだろう。
福島原発付近の瓦礫は放射能を浴びているそうである。
それを日本全国津々浦々にばらまく必要性がどこにあるのだろう。

瓦礫の受け入れについては沖縄県まで検討していたそうだ。
その輸送費で、少しでも新しい建物建てたほうが
震災復興につながるんじゃないのか?
どういうことなんだ?
そんなの、子供にだってわかる理屈じゃないか?
阪神大震災の時、瓦礫受け入れなんて騒ぎになったか?


からくりの一つが、2年を経てようやく見えた。
大阪の堺市が震災瓦礫の受け入れを検討して、
市議会で結局却下したそうだ。
それはいいとして、さて皆さん、
この堺市に復興義援金が支払われたら、それはおかしいと思いますよね?

「は? 受け入れ検討はしたけど、受け入れないんだろ?
じゃあ金なんか発生するわけないじゃん」

当たり前である。それが当たり前の反応である。至極まっとうである。
ところが、国会議員や市議会議員っていう連中は、
おそらく脳みそに何かおかしなものが湧いているのだと思うが、
全くまっとうではないのである。
それが、こんな記事だ。

東日本大震災で発生したがれきを受け入れない堺市が、復興予算約86億円をごみ処理施設の新設費などとして受け取ることが9日、分かった。がれきの処理に困った環境省が、受け入れを検討しただけの自治体にも復興予算の交付を決めたためだ。小さな自治体の年間予算にも匹敵する巨額の資金だけに、「本当にもらっていいのか」と疑問の声も上がっている。

(中略)

  市はがれき受け入れを決定していなかったが、国が「検討レベルでも交付条件に当てはまり、結果的に受け入れることが できなかった場合でも返還を求めない」としたため、交付を申請。同6月にがれきの全体量が判明し市が受け入れなくても対応できることになったが、手続きは進行。同10月に交付が決まった。

(後略)
http://hobo2ch.doorblog.jp/archives/24461923.html


まっとうか?
これは、まっとうなのか?
まっとうな頭を持っていて、こんなことが考えつくのか?
つくわけない。頭に湧いてる証拠であるので、
この証拠だけで関係各所、堺市も含めて全員入院してもらったほうがいい。

この一件の報道から、やはり疑問が大きくなってきたので
ちょっとぐぐってみた。
そしたら一発でこんな記事が出た。


ガレキ処理についての正論
(前略)
【伊達勝身・岩泉町長】
現場からは納得できないことが多々ある。がれき処理もそうだ。あと2年で片付けるという政府の公約が危ぶまれているというが、無理して早く片付けなくてはいけないんだろうか。山にしておいて10年、20年かけて片付けた方が地元に金が落ち、雇用も発生する。

もともと使ってない土地がいっぱいあり、処理されなくても困らないのに、税金を青天井に使って全国に運び出す必要がどこにあるのか。

*   *   *

引用した岩手県・岩泉町長の言葉。
まったく一言一句、その通り。

阪神大震災でも東日本大震災とほぼ同量の2000万トンのガレキが出ましたが、神戸と大阪ですべて処理したとのことです(3年で処理完了)。今回、放射能という余計なオマケがありながら、なぜ、わざわざガレキを全国に運び出そうというのか。

まあ普通に考えて、ガレキ処理による利権が絡んでいることと、あとは日本特有の放射能を全員で分かち合おうという意識が働いているんでしょう。

*   *   *

と思ったら、ガレキを東北から沖縄まで運ぼうとしてるし。アホか!
んなもん調べるまでもなく、意味不明、コストの無駄!

(中略)

Twitterより
報道ステーションに抗議電話した。まるで宮城や岩手ががれき広域処理を望んでいるかの様な内容だったが真実は違う!陸前高田市長が地元に瓦礫処理プラントを建設し地元で雇用を増やしたいと申請したが国から無視され怒っている。瓦礫を全国に持って行かないで、と」

★環境総合研究所 池田こみち 副所長
http://p.twpl.jp/show/orig/op613
『被災地に何度も足を運んでいるが、「がれきがあるから復興が進まない」という話は聞かない。被災地では、住宅再建や雇用の確保、原発事故の補償を求める声が圧倒的だ。がれきは津波被害を受けた沿岸部に積まれるケースが多いが、そこに街を再建するかはまだ決まっていない。高台移転には、沿岸部のがれきは全く障害にならない。がれきが復興の妨げになっているかのような論調は、国民に情緒的な圧力を加えているだけだ』
東京新聞 2012年2月)

(後略)
http://mononomikata-kerogg.blogspot.jp/2012/03/blog-post.html?m=1


あ、そうか、なんだ、やっぱりそうだったんだ。なんだ。
かえってスルリと事態が飲み込めてしまった。
あぁそうなんだ、と。実に分かりやすいじゃないか。
日本国民全員がすべからく被災地復興を望んでいたわけじゃなかったんだ。
考えてみれば当たり前だった。
私は馬鹿がつくほど思慮が浅く飲み込みが悪く短絡的なので
「同朋が、同じ国の近くの地方が大変なことになってるんだから
みんなで力を合わせて頑張ろう」って
全員が右へならえと同じ思考になるもんだと思っていた。
人の多様性舐めてた。
太平洋戦争期の、いわゆる「挙国一致」の国威掲揚状態は、
むしろ日本国民の悪癖として弾劾されたんだったな。


その反省から、こうして同じ日本人でも
多様に異なる思考を持つことができるに至ったんだな。
何しろ震災復興義援金を横長して一儲けしようなんて考えられるんだから
いや正直大したものだと思うよ。
この混乱の最中に火事場泥棒よろしくと
勢いに乗じてささっと金をかすめていく、だけじゃなく、
ちゃんとルールと仕組み作ってまでかすめようとするんだから
ここまでくると芸術的である。

芸術的多様性である。
同国民が苦しんでいることをいいことに「「瓦礫利権」「復興利権」を
産み出すのだから、並大抵の感性ではない。
あの第二次大戦以降、GHQ の見事な教育は、
横並びで画一的だった我が国の国民性を
ここまで変貌させたのだから、やはり特筆に値する。


どのくらい驚嘆に値するかというと、
復興義援金でオカマバーに通い詰めて
ゲスな笑いを顔中に張り付けて写真までとっちゃう日本人が生み出されるんだから
これはもう、別の国民と言ってもいいかもしれない。
多分、もう日本人はそう多く残っていないのだ。
この国は外国になったのだ。
少なくとも、震災地の被災者たちを「同国民」「仲間」と認識して
「助けよう」と考えるような国民ではない人物が、
NPO 邦人の代表になったりするのだ。

http://2chmatome-ex.livedoor.biz/archives/25514495.html

さすがに私のブログが穢れるので転載すら遠慮したが、
上記リンク先にて醜態をさらす「どこか別の世界の人」が
世界のためにどのような役に立っているのかはわからないけれども
できれば、「もっと」役に立って欲しい、
そう思わずにはいられない、震災復興三年目の始まりなのであった。