消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

一学期の始めに、教科書を買う

一学期の始めに教科書を買う。
あまりにも昔のことで、
ひどく淡い記憶で、
僕はそんなことがあったことを
すっかり忘れてしまっていた。
正直、言葉にしてみたところで記憶は鮮明にはならず、
当然そういう事はあったはずだよな、
という後ろ向きな事実確認と
ごくごくぼんやりと、臨時に出されたテントの下、
粗末なテーブルに並んだ色気のないほんの束が、
なんとなく映像で浮かぶだけだ。
けれどもそれが実際に見た光景なのか
「教科書を買う」
というキーワードから想起された空想のイメージなのか
いまいち判別できない、そのくらい遠い記憶。

何しろ、一番最近のだって、大学四年生一学期なのだから、
15年も前のことだ。
生まれたての新生児が親に向かって馬鹿野郎と
口答えするくらいの歳月が経過している。

テントの下に並べられた教科書のイメージは、大学一年の時のものだと思う。
その時僕はどうやって教科書を選んで、
いくらのお金を払ったのだろう。
馬鹿にならない金額を親に出してもらったはずだが、
その金をゲーセンなんかですってしまわず、
ちゃんと教科書を買いに行ったのだろうか。
…買ったはずだ。
と言うことは、授業や講座はその時点で決まっていたはずである。
いつの間に決めたのだろう。
…入学前か。

大学はなんとなく浮かぶのだが、高校となるとお手上げだ。
薄暗くてやたら威圧的な黒い壁の事務所があったが、
そこで買ったんだろうか。
それとも学費に含まれていて、
教科書は教室で配られたのだらうか。

なぜ、こんな風に教科書購入のことを思い出すのだろう。
いや、思い出せないのだろう。
きっかけは読んでいた小説に教科書購入の場面が出てきたからだが
僕は今の今まで、15年間、
教科書を買ったことなんてまるっきり忘れて
ただひたすらぼんやりと生きていた事になるのだ。
恐ろしい事に。

…別に恐ろしくもないか。
教科書購入。
不思議なイベント。
こんな風な少しのきっかけで学生時代を思い出す。
僕は、年をとったのかもしれない。
そして、疲れてしまったのかもしれない。