消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

アヒルと鴨のコインロッカー/伊坂幸太郎

人は自分自身を物語の主人公だと思い、
今現在を物語の中心だと信じる。
けれども僕は、ずっと以前に始まった、
彼ら三人の物語に、途中参加しただけだったんだ。


2000年、第5回新潮ミステリー倶楽部賞を「オーデュボンの祈り」で受賞し
華々しくデビューした伊坂幸太郎の五作目である。
伊坂幸太郎を一躍有名にした「重力ピエロ」の直後の作品であり、
映画化もされている。
私自身五作ほど読んでいるが、この「アヒルと鴨のコインロッカー」、
一番驚かされた。大どんでん返しである。

このブログでは、できるだけ徹底的にネタバレ、内容に触れることを避け、
お薦めする記事に徹することで、このブログを読んでも
作品を楽しめるように心がけることにする。
・・・もしちょっと触れちゃったらゴメン。


今、Wikipedia伊坂幸太郎の項を読みつつ書いているのだけれど
伊坂幸太郎村上春樹との作風の相似が言われるが、
本人は島田荘司の影響が大きいと語っている」とある。

私はたまたまよく読んでいるのが村上春樹であるので
私のシュミとしての村上春樹との比較をしてみたいと思う。

というのも、私は伊坂幸太郎を読んでいて、村上春樹との相似と
いうよりは
村上春樹との相違の方が気になるからである。

以前、「ゴールデンスランバー」の感想文でも書いたかもしれないけれど
伊坂幸太郎はとにかく、徹底して伏線や細かな謎を点在させる作家で、
その全てを実に丁寧に、綺麗に、「いささか神経質なほど」まっさらに
解消して物語を終える作家である、と思う。
私としては実はそこがかえって鼻について、
神経症気味にすら感じるほどなのであるが

一方の村上春樹の、メタファーというにはあまりにもズタボロに
投げっぱなしの物語と比べると、
圧倒的に真逆のように感じるのである。
普通、一般的な神経を持っていれば、伏線や謎は全部丁寧に回収された
方が、読者としては嬉しいはず、のように推察される。
しかし、あまりにも謎のまま終わらせた「エヴァンゲリオン」のような、
社会現象的に大ヒットしたアニメの例を思い、

新作が発表される度にお祭り騒ぎになる村上春樹の例を思うと

実はほったらかしの謎っぱなしの方が
人々には「受け」がいいのかもしれない。わからないけれども。

とにかく伊坂幸太郎は、あまりにも明確に綺麗に
頭からお尻まで筋を通すものだから、
それが快感でも有り、
「そこまで何もかも綺麗にパズルが組み上がるものだろうか。
ジグソーパズルじゃないんだから」
と思わされたりする面もある。
それがどうであれ、面白いことは間違いなく、
非常に良くできた、完成度の高い物語であることは事実である。


当作「アヒルと鴨のコインロッカー」は
現在と二年前、
椎名という若者と琴美という女性の、
二人の視点、2つの物語として描かれる。
それがやがてからみ合いをみせるようになり、
驚くべきどんでん返しを経て、終局へ向かう。

このどんでん返しが、作中、
読者に「ちょっとした違和感」として残り続けており、
だからこそ「ああ、そうだったのか!! それでか!!」
と思わず膝を打ってしまう、あまりに気持ちのいい
ひっくり返り方なのである。
思いもよらないところがひっくり返るのではなく、
本当に、ちょっと風邪気味かな、と疑う程度の喉の違和感が
綺麗に「そこです!」とひっくり返る心地よさ、
これは詰まった鼻がスコーンと突き抜けるくらいに
気持ちがいい。
風邪じゃなくて良かった。ほんと。


最初に読んだ「オーデュボンの祈り」は、
(これまで読んだ伊坂の中で)一番奇妙で面白かった。
おそらく最大のヒット作「ゴールデンスランバー」は
一番きれいに伏線と物語を収めた例に感じた。
陽気なギャングが地球を回す」は一番痛快で
一番軽快だった。
今作「アヒルと鴨のコインロッカー」に、ほんのわずかに
登場人物が重なるのがちょっと嬉しい。

「魔王」はそんな中でかなりの異色作で
すべての伏線を回収する、と私が前半に書いた一方、
この作品はあまりにも未完結で、
だからこそ印象深く、そのくせ圧倒的な面白さ、
一番の消化不良な面白さ、だった。
(さすがに続編が出てたので次に読むつもりだ)

最初の大ヒット作で代表作として語られる「重力ピエロ」
実は個人的に、これが一番「無難で大人しい」と感じてしまった。
読んだ順番のせいかもしれないし、
前評判で期待しすぎたせいかもしれないが、
完成した面白いミステリーであることは間違いないが
「実に伊坂らしくて逆に読めてしまった」感がある。
最初に読んでいたらおそらく真逆の感想となっていただろう。
(たかが五作で「伊坂らしい」も無いもんだが)


そして、「アヒルと鴨のコインロッカー」は、
文句なくナンバーワン驚いた作品、であった。
あまり「驚いた」と書いてしまうと期待しすぎて
かえって肩透かしになりそうなので注意して欲しいが
ものすごいどんでん返し、というわけではない。
大変気持ちがいいどんでん返しなのである。


しかし・・・
絶賛しているかのような私の、本作品の評価は
「非常に残念」である。
というのも、登場人物がどうしても好きになれなかったのである。

大学入学したての「椎名」
彼は別に良い。ほぼ没個性で良い。
映画では濱田岳が演じているので、
あの個性俳優を思い浮かべて、むしろ好き、という人も
いるかもしれないが、小説中ではまるで印象の薄い主人公である。
で、あるから、主人公ではなく、三人の物語にあとから巻き込まれた、
そういう弱い人間なのである。

河崎、は良い。大変良い。
ドルジも良い。

が・・・しかし・・・
もう一人の主人公、琴美。
これが信じられないほど私の神経を逆なでし、
彼女の思考回路、台詞の一つ一つが腹がたってしょうがなかった。
悪い人間ではない。そうではない。
簡単に言うと「少女漫画の主人公に対する苛立ち」である。
直近では図書館戦争の主人公・笠原郁に親しい。
おかげで、私はついに図書館戦争を読了することができず、
映画も見に行くことが出来なかった。
今度はついに実写化までされるというのに。

つまり・・・なんというか・・・
嫌いな男に対する皮肉の一つ一つに
信じられないほど神経を逆なでされるのである。
気の利いた嫌味や皮肉がいちいち好感とせめぎ合ってるみたいで
「べー! あんたなんか大っ嫌い!」
みたいな稚拙なやり取りを展開する、
そう、多分ツンデレなのだ。完成度の低いツンデレだ。
いやもっと正確にいうと「大人のツンデレ」だ。

琴美はおそらく22~3歳。もっと上かもしれない。
ツンデレなどという性質が似合うのはせいぜい18歳、
女子高生までなのではなかろうか。
大人には大人のツンデレがある。
凛として冷たく蔑むようでいて、メガネを外すとメスブタになるような。
そういうツンデレが25歳以降には求められるはずなのに
この物語のもう一人の主人公・琴美は、
正義というものが絶対的正論とともに実在すると信じて疑わない、
優等生的学級委員長なのである。
なので・・・お好きな人にはお好きなのかもしれないが
この性格を受け入れられない私には、
交錯する片方のドラマに何度も苛立ちを覚えたのだった。

ただ、苛立ちつつもまるで止まらず読み続けさせられた、
作者の文章力と物語の進め方は、
やはり尋常ならざる求心力を持っていると言える。
あの図書館戦争を諦めた私がやめられない止まらない、になったのだから。


かくして、二人の視点は思わぬ所から絡み合い、
物語は怒涛の確信へと雪崩れ込んでいくのだが、

それは読んでのお楽しみ。
個人的にゴールデンスランバーよりも重力ピエロよりも
お薦めである。
陽気なギャングが地球を回す、が一番好き)


最後に。
ネタバレじゃあないけど、
コインロッカー。
これは、無いよなぁ。
「重力ピエロ」にしても「オーデュボンの祈り」にしても
伊坂幸太郎は手に取らせる手法として、
変わったタイトルを無理やり付ける傾向があるんじゃなかろうか。
パン屋再襲撃」の方が、余程言い得て妙なタイトルである。