消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

僕とネコと再婚物語~その8~

「世界が揺れた日の秘密」」


2010年10月、練馬区氷川台へ引っ越した私は、
わずか1年半後、
2012年2月に、再び文京区江戸川橋に戻ることとなった。
なぜか。
彼女と同棲することにしたからである。


「慌ただしいわね」
ネコは不機嫌さを隠さない。
ネコにとって引っ越しは、多分一番イヤなイベントである。
「しかもまた同じ町なの? 気に入ってたなら前から引っ越さなきゃ良かったのに」

そうじゃない。半分お前のせいだ。


新居を探すにあたり、最大の重石となった要件は「ネコ可物件」であった。
ペット可、ネコ可物件は多くない。
当然、基本要件である「家賃、駅からの距離、最寄り駅がどこか、バストイレ別」も乗ってくるので
ホームズのHPなんかで見ていると、見る間に件数が減っていくのがわかる。
チェックボックス入れるごとに該当件数が減っていくんですよねぇー。

印象としては(あくまで私の検索範囲での印象だが)、
・都心から離れる郊外の方がペット可物件は少ない
→ なぜなら新築マンションが多い
→ 新築マンションはそもそも賃貸案件が少ない
→ 新築マンションにペットを入れてほしくないのかもしれない
→ ペット飼うなら、マンション買えば?
→ って感じ

都心部の少し高めの1LDK はペット可が多い
→ 一人暮らしのOL、サラリーマン想定ではないか
→ 結婚、同棲という人間との付き合いに諦めを持ち、ペットと生きていくことを決めた人種たち想定?


また、時期が時期であったため(2012年1月)、湾岸部、埋立地の物件に空きが多く感じた。
時期…東日本大震災である。
2011年3月11日。東北を襲った地震は、地震そのものの被害よりも
その後に発生した津波の被害が甚大で、
人々を湾岸住まいから内陸に押しやる大きな意識点となった。

東京を含む関東、東海の大地震シミュレーションが日々報道され、
東京湾湾岸部がすっぽりと海水に飲み込まれる想定図を見ていれば
やはり自然とそちら側は避けてしまうものである。


3.11 といえば、この大震災も私の引っ越しのきっかけと言えたかもしれない。
木造アパートでは耐震性、火災に弱く感じたので
鉄筋のマンションに引っ越そう、と漠然と思ったのやもしれない。

「ネコは木造でも気にしないニャ」
「いや、お前がぺちゃんこになってたら、って、当時すごく気にしてたんだぞ」

3.11 当時、私は社外研修で遠隔地にあって、
歩いて帰るなど到底想定できない距離で被災した。
社外研修でどっかの知らないおっさんサラリーマンとコンビを組んで
プロジェクトマネジメントのケーススタディをやっていたと思うのだが、
揺れまくる教室で、そのおっさんと一緒に机の足を掴んでゴロンゴロン揺れていた。

研修センターではコピー機が隣の壁まで吹っ飛んでおり、
人やモノに被害はなかったものの、
地震の揺れの激しさを物語っていた。
私は自宅の木造10数年のアパートを思い出し、
ぎっしりと本が詰め込まれた本棚を思い出し、
その本棚の下敷きになっているネコをイメージした。

「ぺちゃんこになってたらどうしようーー」
とは思うものの、電車はその日全く動かず、
タクシー類もすべて埋まっており、
距離的には考えもしなかったけれど、自転車まで各店舗で売り切れていたそうだ。
帰宅困難者どころか、帰ることはまるでできなかったので、
早々に諦めて研修センターで夜を過ごした。
幸いに、食料は弁当屋で確保。テレビもネットも使えるという贅沢な環境であった。


この時、この大震災の時、
嫁(まだ秘密の恋人)はサンシャインにいた。
築20年の超高層ビルである、サンシャイン60
「当然折れてるだろ」って思った。
だから早々に状況を確認しようとした。

電話もメールもネットも大変なことになっていた。
電車も大変なことになっていた。
復旧する見込みの無い駅の階段に座り、
iPhoneをピコピコといじくっていた。
どうやらガラケーの方が災害対策の仕組みがしっかりしているようで
この時はスマフォにしたことを後悔したりもした。
バッテリーも持たないしね。


私はiPhone用の充電ケーブルを持ち歩くようにしていたので
研修センターでの夜、一緒に避難していた女の子に貸してあげることができた。
そこから何かが生まれることを期待したりしなかったりだが、
とりあえずあれから3年、
相変わらずスマフォの電池はもたないので、
充電ケーブルは常に持ち歩きましょうね。


閑話休題
古い高層ビル、サンシャイン60 の無事はわりと早々に確認できた。
ネット、ケータイがなかなかつながらないものの、全く、というわけではないので
断片的に情報は入ってきた。
会社の同僚が状況をメールしてくれた。
曰く「こんな大変なときにいない加藤さんはやはり加藤さん」
曰く「(私を含む)上司が誰もいなくて何も指示出してくれなくてがっかり」
曰く「上司は会議室から出てきたけどまた引っ込んで会議続けてた」
曰く「残念ながらパソコンもディスプレイも色々な機器も被害は出てない。その気になれば業務は続けられる」
曰く「いっそ壊滅してくれれば仕事休みになったのに(不謹慎)」

そして、エレベータの停止したサンシャイン60にて、
階段を降りて地上に向かい、
そこで解散、各自の判断、となったそうである。

歩いて帰る者、
タクシーを拾う者、
酒と食べ物を買い込んで事務所に籠城する者、
それぞれ勝手に過ごすこととなったようである。

私の彼女はというと、歩いて帰ることを選択したとのことで、
方向が同じメンバーとてくてくと帰ったそうである。
その辺の状況を掴むことができたので、
パニックにならずに研修センターで夜を過ごすことができた。
電話は相変わらずつながらなかったが、夜には彼女とSkype で会話することができた。
Facetime だったかな? IP 通信の方が、制限がなくて助かったわけだ)


彼女もネコを心配してくれた。
私のアパートの方も様子をみようかと提案してくれたが、断った。
どちらであっても…
・無事で何事もないならそれだけだし
・壊滅してたところで何かできるわけではないし
・ネコがぺしゃんこになってても何かできるわけではないし
・そりゃ偶然、「怪我したけど虫の息」状態だったら何か出来るかもしれないけれど
・それはしかし、この状況下で彼女にやらせるのは酷な作業であるから
断った。


物事には有線樹にというものがある。
自分の中で優先順位を決めておくと、判断がぶれなくて良い。
それを公言しておいた方が人との対話にあって一貫性を保てる。

通常は子供である。第一は。
続いては配偶者、恋人。
あるいは両親、家族。
※ ここで嫁と両親とどちらが優先か、の不明瞭さとオーソライズ不足が、
  世の中の様々な嫁姑問題をこじらせ、
  夫婦仲を険悪にさせている点であるから、
  特に各男性諸氏は明確にされた方がいいだろう。
  そして…それは自分の希望と好みの優先度ではなく、嫁、妻を上にする方が波乱なく生きられるものである…


ペットは家族、ペットは大事、
と言われる方々も多い。
それは時に、避難所で人間よりもペットを保護したがるケースで
人々の理解を得られないこともある。
この未曾有の震災において、人が怪我をしたりしている中で、
動物病院に駆け込んでる人は、確かに非難されるだろう。
が、そういう優先度の人もいるものである。
そして、かけがえのない、という意味では、その人にとっては、
見ず知らずのAさんよりはイヌやネコの方が大切なのである。当たり前に。

それが優先度。


そして私は、ネコの優先度を低くしており、
それを公言するようにしている。
ネコネコ言っているから周囲は信じてくれないかも知れないが、
ネコはネコで、人より優先度は落ちる。他人より。

ネコが死んだらまた飼えばいい。
ネコ一匹一匹は性格も違うし過ごしてきた時間も異なれば、
それは代替の効くものではないことはわかっている。
それでも、ネコは死んだらまた飼えばいい。

少なくとも、彼女(嫁)が死ぬことや震災事故に巻き込まれることよりは、
ネコの優先度は格段に落ちる。
だから私は自分の中の優先度を「彼女(嫁)、自分、家族」としており、
ネコはそのだいぶ下の方に位置する。
崩壊するビルの中にネコが取り残されたら見捨てる(自分の身体の方が優先度が高いから)。
妻が悪の組織にさらわれたら罠だとわかっていても本拠地に乗り込む(妻の方が優先度が上だから)。
これが行動規範であり、優先度というものであろう。


「ネコ、低いわね」
さすがに不愉快そうにネコが尻尾をぱたつかせる。
「しかたがないんだよ。これは準備みたいなものなんだ」

準備。
ネコの寿命は10年から15年と言われる。
最長記録とされるのは28年である。
普通に考えて、自分自身より早く死ぬ。ほぼ必ず。

ペットロスト症候群、と呼ばれる心身症がある。
ペットが死んでしまって放心してしまう状況で、
そのショックは我が子を失ったのと同じレベルであろう。

だが、我が子は、順調に行けば自分より先に逝く事は無いのに対し、
ペットは大体自分より先に逝く。
その覚悟、そのために、
心を砕きすぎない準備を、私はしている。
辛いに決まってるけどね。


大震災翌日、タクシーで木造アパートに帰ったら、
ガンダムのプラモデル(PGザク)が本棚から床に落ちてただけで、
皿一枚割れていなかった。
ネコは何事もなかった顔で迎えてくれたのであった。

(つづく)