消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

子育てについて

結婚したら、それからきっと、子供を産む。
私は男だから、多分妻が産む。
夫は種を作るけど、出産では見守ることしかできない。らしい。

弟の嫁が妊娠している。
体調がすぐれず入院している。
弟は非常に取り乱しながらも、不安で溢れ出しそうになりながらも
必死で明るくめいいっぱい、
嫁の世話と産まれてくる子供のことを考えている。

男の子だそうだ。
エコー図を見せられて「似てるでしょ」って言われたけど
何が何だかわからなかった。


私も、再婚だけど結婚した。
子供のことを少し考える。
子供が産まれたら、どんな子供にしたいか。どんな風に育てたいか。

だから妻と、こんな話をする。


子供に良く育って欲しいなら、まず自分が育とう。
子供がそういうことしたら嫌だと思うことはしない。
子供がそういう風に感じたら嫌だと感じることは感情を自分の中で切り替える。
まず自分ができなかったら、子供だってきっと違う方に行く。

でも一方で、自分が、親がなんでも出来る必要はない。

子供を育てるのは父と母の二人だけじゃない。
家族が、友人が、学校が、公園が、
虫も木々も川も海も、公園の遊具らも
子供を育ててくれる。

でも一番見てるのは両親だ。
先日、友人の子供らと遊んだのだが、
5歳の男の子が毛虫を怖がっていた。
母親が怖がるから、と言っていた。
5歳位なら毛虫をつついたりしそうなところだけれど
それはまぁ人それぞれ、育ちそれぞれなんだろう。

ただ、かくも子供は親を見るから
だから親になるつもりの私は…私らは、
子供にさせたくないことはしないようにしたいと思う。

人の悪口を言ったり、食べ物を不味いと言ったり、
何かを嫌いと言ったり、他人の気持ちを考えずに場の空気を壊したり、
そういうことはさせたくない、そういう人間にしたくない。
だったらまず自分が、そういう人間にならないようにしようと思う。


正しさ、じゃない。
一番単純な、たった一つ単純なことだ。
「一緒にいる人と気持よく過ごそう」
たったそれだけのこと。この一つだけを大切にすればいい。

それができない人間が、この世の中あまりにも多いことを知っている。
それを反面教師にできなくて、何が教育か。何が大人か。
周囲に流される程度の思考レベルしか持てなかったのなら、
小学校から大学に至るまでの16年間、眠っていたに等しい愚鈍さだ。
周囲にあわせるんじゃない。
周囲を見ながら、毅然と、正しさに向き合えるか。
人の気持ちを考えることができるか。

これが、人間性というものであるから、
子供にはそれを見せていきたい。