消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

日本歴史家を支持する声明

安部総理が、日本史上初、
米国議会で演説を行った。
その内容に一部批判が集まっている。
歴史修正主義」と揶揄される、現在日本政府の動勢に対して、
著名人たちが痛烈な批判を発表したようだ。

http://synodos.jp/international/13990


昨今、政治経済に疎い私でも明らかに感じている、
嫌韓、反中の雰囲気、
ネット上での、それこそリベラルなプロパガンダ(と勘繰られそうな)発言と他国批判、
偏りが過ぎるようには見える。

偏りが過ぎると、そこには意図と扇動が隠されてるように
勘繰られるものである。
一方で、
中国とビジネスしていると感じる国民性の違いや、
韓国出身者の、日本人とは異なるモラルハザードを実際見聞きしていると、
100パーセント「偏り」と片付けられ無いものだとは思う。


ただ、先に紹介したブログを読むと、漠然と感じていた不安、疑惑が後押しされる。
それは、
「日本でも、彼の国のような、偏向教育・情報操作がされようとしているのではないか」

つまり、韓国や中国で行われている反日教育に類するもの、
両国で流されている抗日ドラマ、情報のようなことが、
日本でも行われようとしているのではないか、
そういう不安である。


私ははっきりと正論を言いたい。
しかし正論だけでは抑えきれ無い状況が生まれているのもわかる。
そもそも正論、正しさと言ったものだって、
どこかの国のモラルや常識を背景に成り立っている。
事情が異なる国に行けば正論だって変化する。


それでも、自国の正論を貫くべきだ。
それは歴史修正主義ではない。
事実と誤りを明確に分けて主張すること。
悪かったこと(戦争責任)は永遠に詫び続ける覚悟を持ち、
一方で反日教育や抗日主義に、正しく意を唱えること(これが難しい)。


あくまで邪推、噂だけど、
中国と韓国は、日本を含む色んな国に人を潜入させ、
「歴史修正」の実行力として動いてるらしい。
日本政府による、アメリカ教科書への申し入れはそういう背景があってのことかもしれない。
ただそこに、目には目を、とばかりに、
日本政府にとって都合の良い形の指摘の仕方では、
それは中国や韓国がやってることと同じになってしまう。


日本として、
日本の正論を主張するのではなく、
日本歴史研究における、世界的な正しさに向けて、
姿勢正して向かって行きたい。

安部総理や日本政府がやってるつもりの事なのかもしれない。
どちらが正しいかは、やはり知識の浅い私では判断できない。
ただ、批判は真摯に受け止め、
ちゃんと誤解を解いていく事と、
「謝罪は済んだ」という手前勝手な思想だけは持たないように、
自分たち日本人の指針を明確に決めるようにしたいものだ。

そういう意味では、日本国内の統一見解すら怪しい状況なのは、
なんとも度し難いものである。

思想の偏狭と方針の画一化であった、旧日本帝国軍の軍国主義
あれに対する反省が、
この日本の「思想バベルの塔状態」なんだろうなぁ。
これがリベラルってことなのかなぁ。