消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

シビアな時代

優生保護法の被害者が、
50年もの月日を経て、国家を訴えた。
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私は、訴えた被害者を批判することは決してない。
わずか50年前のわが国で、ここまで非人道的な法律が存在したことに背筋が凍る。
1976年生まれで精神薄弱の私の妹も、強制手術対象だったのだろうか…

しかし…
しかし、なんとシビアな時代だろう。

この女性の訴えは正当だし、
たとえ訴えが認められても、
失われた人生はかえらない。
そして…
その被害を与えたのは、
(おそらくは)当時は「正しい」と信じられた思想だったのだ。
少なくとも…法律、だったのだ。

例えば、江戸時代のとんでもない医療で、助かるものも助からなかった被害者もいただろう。
中には生涯の障害を持つ羽目になった、インチキ祈祷とかの被害にあった人も居ただろう。

明治時代ではどうだろう?
日進月歩する医療や学問の中で、
その一時期は正しいとされた手術や論理があったのではないか。

昭和の初期なんかのロボトミー手術とかはどうか。

平成の世になっても、
ホメオパシーとかの眉唾医療なんかがある。
シュタイナー教育はどうだろう。
ドイツでは、シュタイナー教育を受けた子供達が大人になり、今、どうなってるのか。
それは正しかったのか、どうか。
我が国のゆとり教育は、どうか。

つまり…
国も政治も教師も研究者も、
それから世間も、
つまり我々も、
間違える。
正しい答えばかり選べているわけではなく、
改善がいつでも「良く」なってるかさえ怪しい。

今政府が推進する「働き方改革」が成就した結果、
日本の国力が下がり総生産が下がり世界市場で負けて壊滅的な経済となったりしたら、
はてさて、誰が責任を取るのだろう?

間違いは多いし、
間違いか分からないことも多い。
それでもアクションは取り続けなければならず、
その結果被害者を生んできた。
非加熱血液製剤によるエイズ感染、
ポリオワクチン、
建築の姉歯物件
枚挙にいとまがない中で…

江戸時代、
明治時代の医療過誤の被害者たちは、
今、訴えることはできないだろう。
昭和初期の公害被害者には明確な責任者がいた。
この、旧優生保護法の被害者の方もまた、大変痛ましい被害者として、
少なくとも「その法律が誤りだった」と認められる時代までご存命された。

世界の分析と浄化速度は速くなってる、と思う。
それに加えて、医療の発展で長寿命となった。
つまり、
「誤りが発覚し被害者が存命してる」確率が
格段に高くなった時代と言える。

そのため、正しいと考えられる施策は吟味に吟味を重ねて検証されて実施されることになるだろう。
アクションが大変先になる。遅くなる。
自動運転車の法整備も、検討に検討を重ねて石橋を叩きまくったりして、
試験を重ねて事故車でもでればまた大変な責任追及と正解探しになるだろう。

私は被害にあいたくないし、
家族に被害を被りたくない。
そして、被害を与えたくない。
仮に私が正しく有用だと考えている事項が、
(例えば他人の子供へ贈るおもちゃとか)
それが悪影響と、後の世で証明されたらどうだろう。

江戸時代であったら、
50年後に発覚する「正解」を意識する必要はなかっただろう。
しかし今の時代、
これからの時代、
正解への責任を、
誤りへの謝罪を、
追求される時代になる。

シビアな…シビアな時代ではなかろうか?