消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

『ちっぽけな本屋 ⑤』

 ちっぽけな本屋は見た目だけでなく、品揃えまで相も変わらずだった。

それは昨今の時代の流れ、本という文化の『今』に即しているとは言い難く、
並べられたハードカバーにうっすらとかかった埃で、あまり流行っていないことが予想できた。

それでも私は、すっかり主義主張を失ってしまった自分の本棚を、あの頃の清廉として整った、好みの配列にすることに没頭した。

時間があった学生の頃のように足繁く通うことはできなかったが、いつの間にか増えていた収入を笠に、
趣味的な本を大げさな荷物にして帰るのが楽しみになった。

仕事帰り、店を片付けている店主のわきをすり抜けて、少しあわてて本を探すのも、時間制限のある宝探しのようで妙に楽しかったのであった。



 所用で得た休日、ちょうど放課後時に商店街を歩いてた私は思わず立ち止まった。

ちっぽけな本屋の前で、小学生らしき子供たちがたむろして、そう、まるであの時の光景そのままに
彼らがマンガ雑誌やら少し背伸びしたファッション雑誌やらを広げていたのである。

本屋は、時間を経て世代を経て、やはり相変わらず、子供たちの憩いの場となっていた。

良く似た少年にSくん、A太と声をかけてしまいそうになった。

駄菓子屋こそ消えてしまったが、子供たちはコンビニエンスストアででも買ってきたのだろう、
菓子やジュースを傾けながらにぎやかに、あるいは黙々と、それぞれの読書にのめりこんでいた。

風景が逆転してしまったようなめまいを感じて、私は振り向いた。

友人たちが駆けてくるような気がした。

かつて夕日がどこからでも見通せた、低い建物ばかりだった商店街の、今はビルの隙間から黄金色の夕暮れの光が目を射た。

くらんだ目には確かに、小学生の自分と友と、ちっぽけな本屋が見えたのだった。