消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

「アフターダーク」村上春樹

小説は文庫で読む。小説に限らず、本は文庫サイズを好む。
ふらっと立ち寄った書店で、さりげなくアフターダークが文庫化しているのを発見した。
村上春樹の、確か海辺のカフカの前の作品・・・
と思ったら、海辺のカフカの後の、現在における最新長編ということになる様子。

海辺のカフカの世界的ヒットもあって発表当時は大々的に宣伝されていた。
結果は人々にとって受け入れやすいものではなかったらしく、宣伝が空回りしていた。
文庫化されたのもわりと小さなニュースみたいで、ひっそりとこっそりとされている。

この小説にふさわしい静かさで。

ぱらぱらと一気に読んで感想を一言で言うなら、残念、である。
自分の場合文庫で読む、という性向上、作品の発表から1年以上待たされることが多い。
その間に期待も膨らむし、風評を聞いて心配になる、という側面もある。
評価は高くない、と聞いていた、しかして、その通りだった。だから残念。

海辺のカフカは、作者の後期の(まだ後期、というには早すぎるだろうけれど)傑作として
大ヒットしたし、
長いこと待った甲斐のある、読み応えある長編であった。

アフターダークは、長編と言うよりは中篇、
もっというなら、「第一話」といった感じだろうか。
村上春樹の特徴的なやり方ではあるけれど、
何も解決させずに投げっぱなし、という、まさにそれである。

それでも羊をめぐる冒険や世界の終わりや
海辺のカフカ、ねじ巻き鳥においてだって
それなりに筋があって物語があって世界があった。

都会の夜、たった一夜を描いた「アフターダーク」は
本当に投げっぱなしと言うか、
お皿をそろえただけと言うか
料理を並べてごちそうさま、である。食べずに、である。

村上春樹を人に薦めるときに添える言葉として
「物事をまとめるな」というのがある。
どんなに長い小説でも、人生の、世界の、ほんの一部分を切り取っているに過ぎない。
すべて、ではない。

きっと正確な書き方をするなら、
物語はずっと「始まって」いて
そしてずっと「続いている」
小説のページ数とは無関係に。

だから、村上春樹の作品はいつも、
スプーンですくったような、部分的なものを感じさせられる。

それにしても、である。
例えば、作者のデビュー作以降続いた物語、
風の歌を聴け」から、「ダンスダンスダンス」に至る
四つの物語は、しかしそれぞれに独立して読ませたし
独立した印象を我々に与えた。

アフターダークは、独立できていない。
成立していない。
村上春樹保護者らはこれをも夜闇の優しさで包み込んでしまうけれども
私は不完全燃焼である。

最後の数ページなど、どれだけはらはらさせられたか。
「もうあと数枚で終わってしまうのに、何もかもが未解決で投げっぱなしでどれだけはらはらさせられたか」


都会、渋谷辺りを思わせる都会の一夜に
幾人かの人々が交錯し、物語が交錯し
それぞれの立場が交錯する。
そこにドラマ性はない。
ドラマ性を過剰なほどに予感させながら、
すべては皿にもられた料理のような状態で終わる。
味もわからない、満腹にもならない。

だから、「風の歌を聴け」のような連作になるような予感をさせる。
それにしたって、「1」といったように、ナンバリングしてもらいたいところだ。

特徴的なのは村上春樹の語りで、
戯曲や演劇の台本を思わせる、ひとつの(いや、複数の)読者の視点として描かれる。
それはどこかぎこちなく、随所で唐突で、場合によっては窮屈で
これまでの村上春樹の作品の「風のように爽やかな」感じや
「ビールを飲みたくなるような文字ののどごし」はない。

期待をさせる場面が随所にでてくる。
ねじまき鳥クロニクル」を思わせる、ミステリアスで悪を感じさせる男の存在。
鏡に写し取られた姿。
テレビの向こう側とこちら側。
目覚めない少女。
それらは、現実の夜と同様、他者の目を気にすることなくそれぞれ動き、
まったく現実の夜と同様、それぞれ独立したまま終わる。
わずかに交錯する。ほんのわずかに近づく、
現実に我々のすぐ近くで事件が起きているように、
そして我々はいつでも当事者になりうるぎりぎりのところで
傍観者で終わっている。
(もちろん、これまでは、という限定的な事実ではあるが)

村上春樹が描く夜は、リアルという、どこか浮ついた均衡の上を
ふわふわと上滑りしていく。
捕らえようとしているように感じるのだけれど、そうはしていない(なっていない)。
夜は上滑りしたまま朝を迎える。
朝を迎えるシーンは、とても素晴らしいできばえだ。
それぞれの人生は未解決のまま(もちろんいつだってそうだ)、
朝を迎える現実的な世界がある。
ありていに言ってしまえば「それでも夜は明ける」あるいは
「明けない夜はない」と言ったところか。

もし後者のテーマで書かれていたなら、本当に稚拙な作品になってしまうのだけれど。

文体が、視点による変更がなされているため、
村上春樹を読むなら、ストーリーではなくセンテンスを読め」という、
いつもの感じ方は残念ながらできない。
それでも随所に感じられるものは確かに村上春樹である。
その一点だけでも読む価値はある。もちろん消極的な意味ではなく。

せっかく文庫になって手にしやすくなったのだから、ぜひ読んでもらいたい。
ただし、代表的な村上作品を読み終えてから、である事を前提に。