消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

W杯を東京都も一緒に祝えばよかったのではなかろうか

東京オリンピックを招致しようという、
石原元都知事、猪瀬都知事
お祭りを呼ぼうというのだからお祭りを
「お祭りとして」規制したほうが良かったのではなかろうか。

もしかしたらオリンピック招致も鑑みて、
コントロール可能、規制可能、マナーと規律ある日本、
というものをアピールしたかったのかもしれない。
が、ちょっと失敗したらしい渋谷のスクランブル交差点。

日本人、若者の騒ぎと言ったら、
成人式とこのスポーツ系くらいか。
それを規制、禁止、バリケード
まぁ管理側、治世側も実に日本的と言えば日本的ではあるが

もう一つの例があるではないか。日本にも。
祭り、である。
だんじり祭、正月の福男、徳島阿波踊り、の極端な例を上げずとも、
隅田川の花火、浅草三社祭等々、
群衆を規制するのではなく、交通側を規制して
祭りをコントロールする文化だってあるじゃないか。

隅田川の花火は、そもそも車で見に来る観客を抑止して
道路を規制する側面も強いのはわかるけれども
伝統があるから、町も祭りを受け入れている。

新しいものに反応が鈍いのもまた、日本らしいと言えば日本らしいが、
若者が元気が無い、社会が元気が無い、出生率が低すぎる、
なんて問題視しているなら、
それを盛り上げる頭の柔らかい方針を考えてみてはどうだろうかね。