消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

「僕」って誰?

君は本当に君だろうか?
僕は本当に僕だろうか?
そもそも、
「本当の存在」というものは何であろう?
何を持ってして「本当」とするんだろう?

分子レベルまで完全に同一に精製して、
記憶まで丸ごと移植した僕のクローンは、
「本当の僕」だろうか?
本当の僕ならば、どこでもドアとかで、
入り口で粉々に抹消して殺した「僕」を、
出口で完全再現することができていれば、
それで瞬間移動が擬似的に実現出来てると言えるだろうか。

逆に、
実態は僕そのものだが、
記憶を消された僕は
本当の僕と言えるだろうか?

僕を形作るいくつもの要素。
身体、容姿、ココロ、記憶、
他人との触れ合い、他人の扱い。
エヴァンゲリオンもテレビ版のラストで
そんなことを語っていた。
自分が自分であることを受け入れ、
少しは好きなり、
自分がそこにいてもいいと自己肯定すること。
それがテーマだったらしい。

でも…どの要素でもって確信をもって「僕」であることを
証明するのだろう。
せめて、自分が信じることができるのだろう、
僕が僕であることを。

五億年ボタン、というマンガがある。
わずか数ページのそのマンガがYouTubeにあがってから
かなり話題になっている。

ボタンを押すと異次元に飛ばされ、
空腹も睡魔も感じず狂うこともできず、
五億年何もないところで過ごさなくてはならない。
しかし五億年経過後、元の次元に戻り、
五億年分の記憶は消される。
そして褒賞の百万円がもらえる。
ボタンを押してから百万円をもらえるまでの間は事実上一瞬であり、
五億年の記憶も体験も綺麗さっぱり消えてるので、
ボタンを押すだけで何も起こらずに百万円、もらえるように見える。

あなたはボタンを押すだろうか?

五億年ボタン
http://blog.livedoor.jp/nwknews/archives/4366250.html


僕は思う。
五億年分の記憶と体験を喪失した僕は、
本当に僕なのだろうか。
ボタンを押した僕と
百万円を受け取る僕は
本当に同じ僕なのだろうか。

僕が誰か知らない僕らしき人物のために
五億年の責め苦を味わう、と捉えると、
とてもじゃないが受け入れられるものではない。

五億年の孤独…
想像を絶する世界を前に、
とても自分は押すことが出来そうにない。

ボタンに不具合があったらたまらないしね!
戻ってこれなかったりしたらさ。