消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

ちっぽけな本屋 ②

 そんな幼い時分からついに大学を卒業するまで、その町で暮らした。

中学生になってからはさすがに制服姿で立ち読みをするのが恥ずかしくなったのか、または部活動に熱中するようになったためか、
はたまた別の興味(思春期の少年にありがちな)から本屋にある種の「敷居の高さ」を感じたからかも知れない。

それまで日課のように訪れていたその本屋へ通う回数は、めっきり減った。

部活動で疲弊しきった体を引きずりながら商店街を通って帰る時、変わらずうすぼんやりした街灯で店頭を照らしている様が
妙に小さく見えたことを覚えている。

私は成長期という、荒れ狂う波のような変化の中で確実に成長していたのである。

子供の頃に圧倒された本棚の高さには、あの頃の威圧感はもうなくなっていた。


 再び足繁く通うようになったのは大学に入学し、遅咲きながら読書の楽しみに目覚めてからだった。

高校生の時分には、毎週何冊も発行される漫画雑誌は、学校の近くのコンビニエンスストアに任せきりであった。

その頃の雑誌を買う熱心さには今思い出しても苦笑してしまう。

大量の雑誌の発売曜日をしっかりと暗記しており、
なおかつ独自ルートから他のストアよりも早く雑誌を店頭にならべる店をいくつも回ることがあった。

さしたるメリットも感じられない上、その古い店舗から新刊の雑誌まで煤けて見えるちっぽけな本屋で買うことは稀であった。