消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

考察「宗教」①

宗教とは何か。
それを考えるためには「神」なるものへの考察が不可避であろう。
宗教の最も一般的で絶対的な形が、神を頂点とした正三角形的ヒエラルキーである。
「悟り」なり「徳」なり「洗礼」なり、
手段多々あれどクラスを上に上がっていく動きは、一般的な会社とさほど差異はない。
ならば神は、社長とか経営者とか創始者とかに位置することになるだろうか。

かつての創世記、日が落ちれば暗闇の中で眠り、冬が来れば凍えていた時代、
この世に起こる現象のすべては、人類にとって謎であり脅威であった。
例えば落雷、例えば津波・台風、
例えば日没、例えば日蝕
人の誕生、毎月の月経、成人男性の成長。

世界を見回すと、
文化的接点がないと思われる地域によっても、驚くほど似た神話が残されていることがある。
人にとっての脅威と興味の対象は、ユングが言う「共通の無意識層」に納められているのかもしれない。

雷の神、火の魔人、太陽神、月を食う魔物、月経と胎内を模したイニシエーション(儀式)。
・・・

「神」は、人が理解することのできない事象、
脅威として存在するものに与えられる総称であったと言っていい。
唯一神を持つキリスト教イスラム教の方がむしろ新興の宗教で
かつては世界のあちこちに、多彩多様で、それでいて文化間では似たような神が多数存在した。

人々が語り継ぐ、
それが神の存在そのものとも、言える。

神は、天地災害を典型的な例にとると、
人知、人事を尽くしても及ばないもの、
人の力の及ばない場所、
すなわち「隙間」に与えられた、呼称であった。

宗教は、「人の心の隙間を埋めるもの」であると思う。