消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

すべてのメーカーに…届け!「文字大きくして」

メガネショップに勤めてる弟の言うところ、

「人は皆、老眼になる」とのこと。

 

円安影響も含めて価格が中古車買えるほどに跳ね上がってる(まだそこまででもないか…?)、

iPhone14 Pro。

悩みに悩んで購入したが…

 

…Pro MAXにしておけばよかった…かもしれない。

 

Switch liteは、デカすぎて重たいSwitch を軽く手軽にしてくれた。

…でもゲームによって文字が読めない…

 

どうか…

どうかゲームメーカー様、

(あと電子書籍マンガも)、

 

人は皆、老眼になる、そうです。

どうかどうか…文字を大きく…してくだ…さい…

(遺言)

もしも動物と話すことができたら

昔からの夢がある。

もしも動物と話すことができたら…

そういう薬とか機械とか、あるいは困ってる神様あたりを助けて、

「お礼に1種類だけ、動物と話せるようにしてやろう」

とかヤバメの祝福を受けることができたりしたら…

 

犬でもなく、猫でもなく、

「蚊」と話したい。

 

「蚊」に伝えたい。コンコンと伝えたい。

「血はやる! いくらでもくれてやる! だから…だから痒くしないでくれ!」と。

 

そんなに血に飢えてるなら、何リットルでもくれてやるわ!(有志集めて)

なんか、蚊は、唾液とかを注入してから血を吸うから、

その唾液だかが痒み、炎症の原因なんでしょ?

混ぜるから!

その唾液成分もまぜて、ここにあふれるほど置いとくから! 血!

頼むから刺さないで…痒くしないで…

 

…と話したい。

…蚊って、動物? 動物ってことで、いいよな?

会話、成立するかなぁ…

人は間違う

人は間違う。

みんな間違う。

 


ある、アイドルが、

デビューして2-3年、

ふと自分のことを検索したら

卑猥な言葉が並んでいて衝撃だった、そうだ。

ここで「だから男って!」

とファンや読者が、

男総称に対して憤る気持ちは、わかる。

でもそうじゃない。

男も間違う、

女も間違う、

若者も間違う、

老人も間違う。

 


大切なのは、

間違いに気がつける社会、

間違いを訂正できる教育、

間違いの違和感に気がつける雰囲気、

正解はすぐには見つからないし、なんなら存在しないことの方が多いけれど、それでもどこかに解決を置こうとする努力、

 


そういう風に思える社会、

そういう風に気がつける社会を作ることが大事なんだと思う。

 


糾弾ではなく、気づきを。

批判ではなく、提案を。

断定ではなく、譲歩を。

断絶よりも、橋渡しを。

気がつけるような教育を、

教育を、

教育を。

自分より他人の幸せを

自分の幸せよりも他人の幸せを取る、ということは、

この一文だけを取ると、古くから批判と懸念の多い一文である。

 

しかし。

だいぶ見えてきたな、と感じることがある。

人生を生きてきて、

あるいは世界世情を見てきて。

 

人類はずっと、

ずっとずっとずーーっと、強者による搾取の歴史であった。

それは社会性を持って群れる生命体にとっては、宿命というよりは、性質なのかもしれない。

それは変わらない、多分変わらない。

しかし人は文明を築き技術を手にいれ様々なテクノロジーの成果として「余暇」を手に入れた。

搾取されてもまだなお手元に「余暇」が残る。

そこに、人類は新しい可能性と不幸をトッピングすることになる。

 

この「余暇」を、「自分の幸せより他人の幸せのため」と考えなければ、多分人類の不幸は終わらないし、争いは消えないし、犯罪は跋扈し続け、

不倫は自己中で他者を不幸にし続けることとなる。

 

「自分を押し留めてまで他人を立てる」ことは、美徳とは言えない傾向がある。

だが「余暇」について、自己中心的に使うことは、他者を、周囲を不幸にする因果の仕組みらしい。

 

私はしばらく「不倫犯罪論」を丁寧に書こうと考えているのだけれども、

その根幹理論がこれであることがようやく言語化出来てきたぞ、というのが、これである。

「余暇の滅私奉公が基本的人権の基本」

…でも長々各気力が全然沸かないのでこの辺にしておく。

トイレを掃除したことはあるか

トイレを掃除したことはあるか?

 

トイレをな、掃除するとわかる、

どうしてそんな所!?

と驚くような箇所が汚れていたりする。

 

現実世界というものは、

人間の想像力なんて簡単に超えてしまう、という話さ。

自分の小さな頭じゃ何もわからねぇんだ、と知れ。

 

(無知の知、の話。つまり「ンチのン」…か…)

 

歴史を書き残す知恵があっても、知識に吸収できない人類たち

坂口尚「石の花」を読んでいる。

ナチス・ドイツ軍に蹂躙されるユーゴスラビアを描いたマンガ。

本当に、本当に、目を背けたくなるほど、無意味に、無造作に、無感情に人が殺されていく、第二次世界大戦下のヨーロッパ。

ページをめくるたびに「どうして」と叫びたくなるほど、弾が、人を殺していく。

全部、人間が発明したものなのに。

それらが、人間を不幸にしていく。

自分の子供を殺された親、

戦時下でも恋が紡がれ、結婚した夫婦に凶弾が舞う。

 

娘が生まれてからの影響なのか、

人の死、を描いた作品を読むのが本当に辛くて、

あんなに破天荒でぶっ飛んだ「進撃の巨人」を読んでさえ、

「地ならしは…地ならしだけはやめてくれ…それだけは…それだけは…」

と夢に見て起きるほどである。

 

はだしのゲンもある。

宇宙テロのプラネテスもある。

平家物語もある。

戦場のメリークリスマスもある。

キングダムもある。

アドルフに告ぐもある。

キミシニタモウコトナカレもある。

火垂るの墓もある。

 

様々な、様々な、様々な伝達手段で、

戦争の愚かさ、人の過ち、くだらない死の心底くだらない取り返しのつかなさ、

これだけ多くの悲しい物語が伝えられても、なお、

人は殺し合い、戦争を求める。

…そういう生物なんだろうか。そうやって、殺し合って、憎しみと悲しみだけが深まっていくのが我ら人類の宿命なんだろうか。

だってそう感じる。

ウクライナへ侵攻したロシアやプーチンが言うに及ばずで、

それに対して「日本も軍備増強を」とか、「核抑止力を」とか、

戦争を戦争で解決するような意見が現代の人類の口から飛び出る時点で、教育の敗北か。いや文化の敗北か。

文字と、絵と、色と、形と、言葉と、

「語り継ぐ」という、生命体として最強の能力を手に入れた人類が、まだ戦争を根絶できないのは、一体全体どういうわけなんだろう。

 

「石の花」を読んでいると、

冬の極寒の中、寒さの中戦火を逃れ移動する難民、パルチザンが、

橋を破壊した激流の川を渡って移動していく。

寒い…なんて寒いのか。足の指、手の指の感覚がなくなって氷落ちてしまうような寒さの中を、食べることもままならない老若男女が歩いていく。

そこを戦闘機がマシンガンで蹂躙する。

よくそんな事態を作り上げられるものだ。

想像力が1ポイントでもあれば、自分がそんな目にあいたくないと思うはずなのに…

 

こんな世界が、未来が待ってるなら、マジで子供なんか作るんじゃなかった。

こんな世界を娘たちに引き継ぐくらいなら、悲しみと不幸の世界を俺の世代で終わらせるべきだった(あ、進撃の巨人の心理って、これか)。

 

 

歴史を書き残し、その辛さが語り継がれ、

「すげー辛い」って知識と想像力が、戦争や貧困を撲滅しない21世紀に、絶望しか感じない。

ウクライナへ侵攻したロシア、戦争が無くならない

8年間、燻っていたウクライナロシア問題。
いや、8年間戦争状態にあったんだ、と言う人もいる。
ロシアが無茶苦茶な理屈でウクライナへ大規模侵攻した、のが2022年2月24日。
世界中からロシアへの非難と、
戦争反対の声が渦巻く。


戦争は誰もが望まないはず…という楽観論はとっくに覆されている。
世界から戦争は根絶されない。


多くのバンドが反戦の歌を歌い、
戦争の愚かさを伝える小説、マンガがたくさんあるのに、
戦争は消えない。


なんでなのか…どうすりゃいいのか。


ウクライナへの寄付をしてみた。
戦争反対、と言ってみた。
Twitter の戦争反対をリツイートした。


でも確かに、何か物足りない。
もっと具体的に止めたい。
…ロシアに殴りに行くか…
(いやこの発想と感覚が戦争を繰り返させてるんじゃないか!?)