歴史を書き残す知恵があっても、知識に吸収できない人類たち
坂口尚「石の花」を読んでいる。
本当に、本当に、目を背けたくなるほど、無意味に、無造作に、無感情に人が殺されていく、第二次世界大戦下のヨーロッパ。
ページをめくるたびに「どうして」と叫びたくなるほど、弾が、人を殺していく。
全部、人間が発明したものなのに。
それらが、人間を不幸にしていく。
自分の子供を殺された親、
戦時下でも恋が紡がれ、結婚した夫婦に凶弾が舞う。
娘が生まれてからの影響なのか、
人の死、を描いた作品を読むのが本当に辛くて、
あんなに破天荒でぶっ飛んだ「進撃の巨人」を読んでさえ、
「地ならしは…地ならしだけはやめてくれ…それだけは…それだけは…」
と夢に見て起きるほどである。
はだしのゲンもある。
宇宙テロのプラネテスもある。
平家物語もある。
戦場のメリークリスマスもある。
キングダムもある。
アドルフに告ぐもある。
キミシニタモウコトナカレもある。
火垂るの墓もある。
様々な、様々な、様々な伝達手段で、
戦争の愚かさ、人の過ち、くだらない死の心底くだらない取り返しのつかなさ、
これだけ多くの悲しい物語が伝えられても、なお、
人は殺し合い、戦争を求める。
…そういう生物なんだろうか。そうやって、殺し合って、憎しみと悲しみだけが深まっていくのが我ら人類の宿命なんだろうか。
だってそう感じる。
それに対して「日本も軍備増強を」とか、「核抑止力を」とか、
戦争を戦争で解決するような意見が現代の人類の口から飛び出る時点で、教育の敗北か。いや文化の敗北か。
文字と、絵と、色と、形と、言葉と、
「語り継ぐ」という、生命体として最強の能力を手に入れた人類が、まだ戦争を根絶できないのは、一体全体どういうわけなんだろう。
「石の花」を読んでいると、
冬の極寒の中、寒さの中戦火を逃れ移動する難民、パルチザンが、
橋を破壊した激流の川を渡って移動していく。
寒い…なんて寒いのか。足の指、手の指の感覚がなくなって氷落ちてしまうような寒さの中を、食べることもままならない老若男女が歩いていく。
そこを戦闘機がマシンガンで蹂躙する。
よくそんな事態を作り上げられるものだ。
想像力が1ポイントでもあれば、自分がそんな目にあいたくないと思うはずなのに…
こんな世界が、未来が待ってるなら、マジで子供なんか作るんじゃなかった。
こんな世界を娘たちに引き継ぐくらいなら、悲しみと不幸の世界を俺の世代で終わらせるべきだった(あ、進撃の巨人の心理って、これか)。
歴史を書き残し、その辛さが語り継がれ、
「すげー辛い」って知識と想像力が、戦争や貧困を撲滅しない21世紀に、絶望しか感じない。