消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

昔の年寄りは世間の一員たれ、と怒った。今の年寄りは自分の利害で怒る?

気のせいなのかもしれない。

昔を、記憶を美化してるだけかもしれない。

そもそも、「昔の年寄り、と今の年寄り」の区分はどこにある?

西日本と東日本の境目みたいに曖昧…?

 

確かに、昔だって、

「うるさい!!(俺にとって)」

と叱る年寄りは居た、はずだ。

そういう記憶はある。

理不尽な怒り方してるジジイも居たはずである。

だからやっぱり、思い出が美化されているだけなんだ。

 

それでもやっぱり、今の現代に流れてくる噂話、

その中でアホな理屈で怒ってる老人の噂話を聞くにつけ、

「はて? 老人のレベルが下がってる?」

と思ってしまったりする。

(そういう小さな個人的な噂話がキャッチしやすい時代になっただけ、なのか)

 

「世代」と言うものはある程度存在する。

ゆとり教育ゆとり世代を産んだように、

その時期特有の世間の潮流と、その潮流の中でどの年齢で過ごしたか、による精神構造への影響。

 

私が「今の老人」と区分けしたくなる世代、

そう感じさせる層は、もしかしたら何かしらの世代なのかもしれない。

団塊とか、バブルとか…

「社会よりも個人(自分)」

という意識を極端に煮詰めた世代がいたとして、

それが今「老人」と呼ばれてる世代なら、

確かにこう感じるものかもしれない。

「老人の質が下がった」と。

 

 

(追記)

コロナウィルスのパンデミックで、トイレットペーパーやマスクが不足してる。

そんな中、毎日のようにドラッグストアの店員は、ジジババに怒鳴られてるそうだ。

「なんで無いんだ!!」と。

怒鳴るのはジジババ。我慢が出来ないのか。幼児退行か。

うーん、やっぱり…

「老人の質が下がった」

のかなぁ。

(あるいは、老人に余裕のない国になった、ということだろうか?)

http://hamusoku.com/archives/10201739.html

 

こんな記事もあった。

https://twitter.com/hamusoku/status/1242290434044391429?s=21

 

(さらに追記)

こんなブログを読んで、

あぁ、私が外側から漠として感じていたことを、

内側の現場から心底目の当たりにしている人がいるでは無いか、

と思った。

私はただの傍観者であって(幸せな傍観者だ)、

本当に事件が起こっている現場では、本当にこんな尊敬のできない事態が進展しているのだ、と知った。

こんな人々が生まれる社会、

それを作った責任が私に無い、とは言えないだろう。

だけどその責を甘んじて受けることなんてやはり出来ない。

 

「医療従事者が、こんな人間たちを救いたくない、と思った話」

https://note.com/8to_blue/n/ne8826da06a37

生の声を聞けて、私は思ったよ。

そう、その感じがある。

この国には、今の人々には、救い用の無さ、救いたくならない根源的ないやらしさが、感じられるよ。