消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

ジェンダー教育はどこからされてるの?

‪最近、娘3歳が何かにつけて「女の子だから」と言う。‬
‪…はて?‬
‪どこにそんなジェンダー教育が転がってるんだろう?‬

男の子と?

女の子を?

やたら区別してくる。

「女の子だからやらないんだよ!」

「それは男の子だよ!」と。

男女の、に限らず決めつけが厳しい。

「上衣着なきゃダメだよ!」

と怒られたり、

(Tシャツはオシャレじゃないの…?)

「メガネかけてないと嫌い!!」

って言われてり。

(お風呂では外させてよ…)

 

その辺の「決めつけ」「こうじゃなきゃ」は、

理不尽だからこそ笑ってみてられるんだけれど、

「男女の決めつけ」

はわりと笑えないと言うか、

だいぶ気になる発言が多い。

 

ここで、自由主義者気取って視野を広げてもらうべくダイバーシティな話をとうとうとしても、

娘3歳はさすがについてこないだろうし、

そもそも、理解や視座を上げることを強制すべきことなのかが分からない。

 

放置してれば自然と学んでいくことなんだろうか?

 

そしてそれ以上に、

「どこでそのような差別意識を形成したのか」

が物凄く気になる。

 

差別意識」と自分で書きながらなんだけれど、

娘の発言は差別的なのだろうか?

いくつかピックアップしてみよう。

 

「男の子はアンパンマンに、女の子はお姫様かプリキュアになるんだよ!」

「青い色は男の子の色でしょ?」

「ピンクと紫は女の子の色なの!!」

「男の子だから自転車乗れるんだよ」

「女の子はお父さんとチューしないの」

 

…最後の一言は正直強烈に傷ついているのであるが、

(血が出るかと思った)

他のステレオタイプな判別は、なんなんだろう?


‪特に、ここ最近、4月初旬から5/15 本日まで、

コロナ禍で家にいて保育園などには行ってないことから、

「娘に影響しているものはだいたい見ている」

私ら親からすると、

はてさて?

何を急に男女差に目覚めてるのだろう、その出典が分からない。

 

二つのことを感じる。

「性差別は生命として生得的な理解、認識であって、論理的な平等論に至る前に生物として得る知見である」のか、

「あふれるテレビ、絵本、子供チャレンジから、洗脳的に男女区別と差別の思想が刷り込まれてるれのか。

 

 

…多分両方なんだろうなー。

おそらくは子供たちは、嫌だろうが良かろうが、メディアや仲間たちの状況(情報)に触れ、

「私はこっち側だ」

と区別選別、カテゴライズしていってるのだと思う。

 

人は…本当に社交的な生き物だ。

どれだけ孤独を愛する、と言っても、

やっぱり他人と触れ合わなくては生きていけない。

ことに子供という、弱くて頭も弱くて本能的な生き物をみてると、

彼ら彼女らが「他者」を激しく必要としていることが、ひじょーによくわかる。

…もうとにかくもう、在宅勤務中なのに、テレビ会議中なのに、おかまいなくこちらに「かまえかまえ」とのしかかってくる、から。

毎日毎日「明日は保育園?」と聞いてくるから。

 

3歳児は1人では遊べない。

1人ではいられない。

ぶっちゃけ、1人ではろくに飯も食えない。

(ようやくトイレを一人で行けるようになった程度)

 

とにかく親に「かまってかまって」が凄い。

こんだけ3歳児が、かまって欲しがってるのを見てると、以下のように想像する。

・人類は孤独に育つことはできない

・人類は集団の中で自己や他人をカテゴライズする

・人は、すべての他人を理解できないから、パターンを学習して立ち居振る舞いを決める

 

こういう…事なんだと思う。

人類はロールモデルから学び、ロールを自分や他人にあてはめることで集団を壊さないようにし、

集団の中に入れるようにする「本能」を持つのではあるまいか。

多分、いわゆるLGBTロールモデルが身近に居れば、

テレビや絵本で見ることがあれば、

そういうロールも見出して、男の子と女の子、だけではない区分を理解したのではなかろうか。

 

だって、考えてみれば、3歳の娘の中にある区分は「男の子と女の子」だけではない。

大人、猫、お店の人、お友達、

そういうカテゴリだったりロールだったりが認識されている。

 

マイノリティに触れる機会が無いために、

マイノリティはマイノリティのまま、娘の世界観の中には(まだ)育たず、

自分が学び、自分が作り出したカテゴリの中に、

思春期あたりで自分が当てはまらない時、

子供たちは大きく悩み、

そして…期待値としては、世界の多様性に気がつく、のでは無いか。

いや、気がついてほしい。

思春期特有の自意識で「私変かも」と自分のことだけ見ないで、

「よく見たら、世界は変かも」と。

その「変」を受け入れつつ、また、

その「変」のどこを改革すべきであり、どれは大切に守るべきものなのか…

「良い判断」ができる子に育ってほしい。

…育てたい、と言うと恣意的だけど、私が少なくとも「良い判断材料」と考えるものを、

積極的に与えていきたい。

 

娘が、思春期になったら伝えたい話。

…いや、22歳くらいかな…?理解するにゃ成長が必要だ。

 

(追記)

雨が降ってた。外に行こうと誘ったら、

「女の子は雨は嫌いなんだよ」と。

…何でもありだな。