消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

10数年後、娘に、「消費税ってものがあったんだよ」と思い出を語りたい

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つい甘やかしがちな娘に対して、
何でも買ってもらえる、ではなく、
お金というものの意味と価値を知っていってもらいたい、
と思ってお小遣い制にした、
わけではなく、

「お小遣いをくれるのはお父さん」
っていう仕組みにして、お父さん価値を高めよう、と、
好きじゃなくても好きと言わなければお小遣いがもらえないから好き、
という「好き」にわずかでも価値があるのかと人は思うかもしれないけれど、
娘の父親になれば、嘘でも戯言でも脚本でも「好き」と言われたくなる気持ちが
わかっていただけるかと思いますがいかがでしょうか。
(ここまで一息に話し切る)


娘に、好かれてないかもしれない。
しかし、お小遣いをくれる存在になれれば…

という邪念と、
それでもやっぱり、お金というものがモノを買うものであり、
使えばなくなるものである、ことを知ってもらう
教育的側面をもって、

毎週土曜日にお小遣いをあげるようにした。

そして、
「お菓子は買ってあげるけど、ガチャガチャとか玩具はお小遣いで自分で買う」
という方針にしてみた。
(でもうっかり玩具買っちゃうんだけれど)


ガチャガチャは今どきほとんど200円以上。
100円ショップも消費税があるので、110円無いと買えない。
そこで週次150円にしてみた。
…ガチャガチャのためには200円にするべきだったかもしれない、とも思いつつ。


お小遣いをもらった当初、娘は喜んだ。
「ガチャガチャする?」と聞くと嫌だ、という。
「100円ショップ行く?」と聞くと嫌だ、という。
そしてイトーヨーカドーのおもちゃ売り場に行った。
女の子向けおもちゃを見つめ、目を輝かせる娘。
…娘は明確に、男の子向けと女の子向けを区別する。
(やはりピンクや紫が好きだから、なのか。しかしどうやってこのジェンダーは構成されたんだろう? それはさておき)

プリキュアの変身グッズ、
着せかえ人形の洋服、
可愛さ満点のオママゴト道具、
一つ一つを指差し、手に取り、
「これはいくら?」
「これは買える?」
と聞いてくる娘。

ここで嘘をついて買ってやっては、教育的側面が失われる、だろうと、
「それは千円ー」
「それは三千円ー」
「それは五千円ー」
「買える?」
「…買えなーい」
表情からみるみる輝きが失せていく娘。

「これなら300円だよ、これなら200円だよ」
「この500円のはもう少し貯めたら買えるよ」
灰色の表情の娘は、父親の提案に冷たい視線を返すのみである。
「…は? あたしが欲しい物はそんなまがい物じゃないのに、何いってんの?」
そんな声が聞こえる。
背中からあふれるがっかりオーラが刃のように突き刺さる。


…これを1ヶ月ほど、毎週繰り返し、
そして、娘はおもちゃ売り場へ行くことをやめた。
私は軽い気持ちで始めたお小遣い制が、こんなにも我が身を傷つけたことに衝撃を受けていた。
娘の絶望が痛い。
「買えなーい」「買えなーい」と答えるたびに、
切れ味の悪いもので引きずるように切り裂かれる気分がする。
…なんだこれ、なんでこんな辛い苦行になってんだコレ。
完全な想定外。
親としての自身の甘さを強烈に痛感した。
面白半分で、邪な計算で、お金を扱うべきではなかったのか。
魔物だ、お金は魔物なのだ…。


今、娘はおもちゃ売り場へ行きたがらない。
「行かない」と明確に拒否する。
そのフロアに靴を買いに行くことすら嫌がる。
きらびやかなおもちゃ売り場には、自分の手の届かない素敵なものが溢れているからだ。

手に入らない希望は絶望よりもたちが悪いのだ。


お小遣い制導入から数ヶ月、
娘の財布には2千円以上が入っている。
「もう買えるものもあるよ」と言っても、まだ行かない。
…8千円の高価なおもちゃが欲しいのだ。
…そこまで貯めるのか娘よ、根性あるな…


しかしある日、娘が100円ショップに行きたがった。
100円ショップであれば買うことができることに気がついたのだ。
「お父さんのお小遣いで買ってよ! わたしのお小遣いが減っちゃうでしょ!」
と恐喝されたが、
(賢いじゃねぇか)
と感じつつも、自分のお財布から買わせた。

100円の、ささやかな女の子っぽいオモチャ。
レジの前で財布をひっくり返し、私の手のひらに小銭をぶちまけて、
100円玉と、10円玉を探り出す。


…そうなんだよな。
10円、消費税、10%。
ささやかな娘のお小遣いから、
ささやかなオモチャを一つ買い、
10%もの税金が取られる仕組み、消費税。

逆進性とか平等性とか色々政治家は賢そうなことを言うが、
年収が高いほど消費税は払われてないデータが現れている。
金があるほうが金を使わない社会なのだ。物をもらったりもできるし。
消費税は、その大義であった福祉にも使われてないらしい。

何のためなのか。
何のために、娘のお財布から、
たくさんの小銭の中から、2枚の小銭を使わせるのか。
私から取るのは良い。
(既に取ってるよなぁ!? 所得税や住民税やら、よぉ!?)
娘の小さな財布に、
何週間も費やしてためこんだコインを、2枚。1枚じゃなく、2枚。

これがこの国のやりたいことなのかなぁ、と思いながら、
娘の買い物を見守るのでした。


仮に数年後、
日本と世界が、消費税の愚かさと格差を広げることに気がついて、
消費税がこの世からなくなっていたら、
娘よ、
君に思い出話で、小銭の話をするのかもしれないな。
…思い出になっちまってほしいものだ。