消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

大島紬の奇跡

テレビ朝日「奇跡の地球物語」をたまたま見た。
たまげた。
仰天した。
なんつう世界、なんたるこだわり、なんという精密さ。

九州の南、奄美大島にて、
実に1300年前から作りつづけられている「大島紬

1300年!?
それって…なんと大きな平安京ぐらいの頃からってこと!?
鳴くようぐいすよりも、いい国作ろうよりも前から!?
やりすぎではないだろうか。1300年て。

ま、まぁ良いものが長く続くのは良いことである。うん。

しかし1300年て…
それもこんな、こんな、
こんな余りにも緻密で余りにも手間のかかる工程を。
1300年も?

重い。
重いわ。
歳月が重い。
しかし本当に重いのはその工程、込められた想い。
大島紬は、精緻な計画とずれの許されない設計、
まるで完成されたバレエの物語のように、
全てのプリマドンナが乱れなく一体となって

プリマドンナは一人だっけ。

とにかくオーケストラのアンサンブルのような
壮大な組み合わせの作品だったのである。

驚かされるのはその絵柄を生み出す手法。
糸を紡いで布にするわけだが、
その横糸、実に一本1600メートルの絹糸を
何度も右に左に渡して布を構成する。

そうすると、その布のどの位置に糸のどの部分がくるか、
理論上は想定できますよね。
理論上は。
わかります?
一本の糸を。
ある単位で右に左に折り重ねて行く、
「布になった後の未来図」

大島紬の衝撃的なところは、
その未来図を、一番最初の工程で設計してしまうことである。

布が出来上がってから絵柄を描くのではない。
布に対して刺繍していくのでもない。

布を構成する要素、
糸に直に絵柄を描くのである。

その描き方になんといっても驚かされる。
1600メートルの細い絹糸に対して木綿糸を縛り付け、
その木綿糸が邪魔しているお陰で染料が届かず、色がつかない。
そういう木綿糸が、恐らく何万、何十万本も渡され、
絹糸をしばり、
まるでドット絵を描くごとく
点点が設計通りに寸分の狂いもゆるされず
事前に組まれているのである。

文章でこの緻密さを伝えるのは私の能力ではなかなか難しい。
大変さはなんと無く、伝わっただろうか。

こうして設計に対して染め上げられた糸は、
(この染め上げる工程もえらいこと根気のいる職人作業であったが)

せっかくの木綿糸がほぐし取られ、長い絹の糸になり、
機織り機にてこれまた一本一本ずらさぬよう
おそらくは信じられないほど神経をすり減らしながら
織り込まれて行くのである。
総計2000キロ分の長い糸として。

…重い。

素晴らしい文化であると思う。
想いが紡がれた美しい大島紬は素晴らしい芸術であると思う。

けれども正直自分は、
そこまで工数かけなくても、なぁ、と
そこまでそこまで1300年も昔の工法を守るものなのか。

素晴らしいことであるのは理解できる。けれども

このあまりの手間暇は当然金額を高騰させる。
大島紬
税金横領したりあくどいことやって金儲けているような、
そういう人たちの夫人だけが
着ることのできるものだとしたら

私がひねくれてるだけなだろうか。
美しいものをただ素直に美しいと思う、
そういうまっすぐな感想を持てなかった自分に、
少し残念な気分がした。

1300年の歴史を前に、小さいな、俺。