消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

撃つぞ? 撃っていいのか!?

ゾンビ、の定義が変わりつつあるように感じるのだけれど、いかがだろうか。
ゾンビの元々の定義は、私の記憶や知識によると
「生ける屍」
土葬がメインの西欧文化にあって、
土の中に埋められて腐敗した故人が、なんの理由あってか墓から這いずりだして
人を襲う、というのが、「由緒正しきゾンビのあり方」であるように思う。

念の為にWikipedia でも調べてみたが、
やはり「死体が動き出す」という趣旨の存在であった。
リビング・デッド、ね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BE%E3%83%B3%E3%83%93

死んだはずの肉体が動き出すのだからそりゃ気味が悪いし、
基本土葬しているので腐敗が進んでいて、なかなか見れたものじゃない、
ということは想像がつく。
だが醜さだけで「悪」と決めつけるのは正しいだろうか。
ご存知フランケンシュタインなんかは、そのおぞましいルックスの割りに
心優しい紳士であったらしいし。まぁ物語の設定ですけれどね。

この、「ゾンビ、即悪」「ゾンビ、ぶっ殺していい」
という精神構造、論法に、ちょっと疑問を覚えたのが
バイオハザード6 という、ゾンビゲームをプレイしていて。
このゲーム中ではゾンビ化は悪性のウィルスに感染して起こる、
凶暴化、野獣化現象なのだけれども、
ウィルスに侵された娘っ子のど頭をぶちぬくシーンがある。
主人公曰く。
「やらなきゃ俺がやられていた」
続けて
「それに、もう人間じゃない」

んん・・・? 人間じゃなければぶち殺していいんだっけ?


この「ゾンビ」に対する価値観、定義、扱いについて
欧米文化ではわりと極論言っているように感じていて、
というのは、Apple ストア。
iPhone のアプリなんか売ってるそのストアで、
まぁ欧米で作られたであろうゲームがいっぱい大量に売っているのですが、
非常に、ゾンビをぶちのめすゲームが多い。
別に統計とったり比較したわけじゃないんですが
「ゾンビが溢れてるから銃や車でぶちのめす」
となった時に、
それには一切の説明も倫理的な解釈も訳知り顔の哲学も無く、
「ゾンビ? 抹殺するぜヒャッハー」
というステレオタイプな思想にあふれているのである。

少し言い方を変えると、
「え? 敵を倒す表現が乱暴? いいんですよ、ゾンビだから」
「は? 表現が残虐すぎる? 何言ってるんですか、ゾンビなんですよ?」
こういう感覚。
ゾンビだったら何してもいい、っていう正義感と、
人間っぽいけれど、かつては人間だったかもしれないけれど、今はゾンビだから、
倫理的には頭にリボルバーぶち込んでもオッケー、的な、
そういう「常識」を欧米側からやたらと感じるのである。

死者を敬う思考もないことは無い気がするんだけれど・・・
割りと唯物論的で合理的主義なんでしょうね。
死んだ。魂は天国へ。肉体は肉塊に過ぎぬ、
そういう感覚が根付いてるんだなぁ、と思う。


で、ここにきて、「ゾンビってそもそも何」なんて話をしたいのですが
かつてのリビング・デッド、「生ける屍」から
ちょっと色々変わってきているような気がするな、というのが一つ。
それからもう一つが、「ここのところ増えてきているゾンビ事件」に
目線を流して終わりにしたいのです。


まず、「ゾンビってそもそも何」
ゾンビぶっ殺すぞゲームの超ビックタイトルと言えば、
ご存知「バイオハザード」でして
先週発売されたこの最新作が、全世界で450万本も初回予約が入ったらしく、
まずこの数字が半端無いのですが
このゲーム中では「死んで埋葬された腐乱死体がなんでか動き出す」
っていう定義ではないです。
ウィルスに侵され、人間の脳なり肉体なりが侵食し、
完全に人間を襲うだけの獣と成り果てた存在を「ゾンビ」と呼んでます。

この設定だけ見ると、ゾンビ、なんて言うけれど「死んで、蘇った」わけじゃなく
生きている状態で凶暴化しています。
そして、このゲームのゾンビたち、ちゃんと死にます。
死んでくれないと主人公としても先へ進めないのですから
そりゃ死んでくれないと困ります。
が、だいぶ「リビング・デッド」の定義から離れていますよね。
でも動きが「腐乱死体っぽく」て、「理性がなくて凶暴」だから殺してしまえ、と。
それはそれで仕方ないと思います。
やらなきゃこちらが食われるんですから。
(そういえばゾンビってなぜか人間を食べますよね)

だから危険極まりなく、生存するためにやむなく「過剰防衛」して倒すんですが
「ウィルス性」って聞いてしまうと、まぁ正味の話、「すっごい風邪」なわけですから
回復の見込み、治る可能性なんかもあるんじゃないのかなぁーー
なんて思ってしまうのが一個。
んで、ゲーム中の話なんですが、
そういうゾンビを倒すのを専門的にやってきた主人公たちなんだから、
ゾンビ・ウィルスにめちゃくちゃ効く劇薬とか、開発しててもいいんじゃないのかなー、
なんて。思ってみたりするのですが、それもゲームの話。
そんな必殺兵器があったらゲームらしいアクションなく終わっちゃいますもんね。

私がちょっと違和感覚えているのは、
このバイオハザードにしても、Apple Store にて数多配信されている、
ゾンビぶっ殺すぞゲームにしても、
「さーゾンビだ凶悪だ、ぶっ殺せ」発想しか無く、
「治してあげよう」「救おう」ってのが無いんですね。
そういうゲームだから、といってしまえばそれまでなんですが

これはあくまで極論でありちょっと違うかもしれないのですが
・残任で凶暴=排除
・一般性と異なる異常性=排除
という、実に、欧米的排他性を、こんなゾンビ程度で感じてしまっている私なのです。

この排他性は人間全体がもっている共通本能らしくて、
日本でも精神病患者や精神疾患、障害者などは
座敷牢として家の奥のあかずの間に監禁し、
完全に社会とのつながりを断絶したりしていたのです。
インドでも「ヒジュラ」なんて呼ばれ方をする特異な存在があったりで
まぁ社会性のある生き物は往々にして排他的な機能も持つものなのです。

それは、それで、仕方がない、って思うんです。
でも・・・ですね。
上記にあげた2点、
・残任で凶暴=排除
・一般性と異なる異常性=排除
これがゾンビだったらしょうがないですよ。ゾンビだから。排除しなければ。
でもゾンビからちょっと視点かえて、人に置き換えてみてください。
例えば、本当例え話として書くんですけれど
アメリカ社会におけるイスラム原理主義者」とか
「白人至上主義社会における粗野な黒人」とか
なんかそういう「一般性」と「異端」の図式だったらどう思いますか?

・・・ゲームみたいなことが起こらなければいいんですがね。


ところが、ゲームみたいなことがどうも起こってるみたいなんです。
しかも、予想の斜め上を行く、「よりゲームに近い事件」が。

2ちゃんねるなんかで話題になっているのでご存知の方も多かろうが、
・全裸で犬を喰おうとする
・全裸で人の顔面を喰おうとする
・全裸で警官に対して威嚇行動をとる
なんて、(なんで全裸かわからんが)、凶暴化、凶悪化事件がアメリカで起きているらしい。

http://www.news-us.jp/s/article/279278281.html


こうなってくると、「ゾンビ」という存在は、
「人間に襲いかかり喰おうとする」
カニバリズムじゃないけれど、人喰い凶暴化、ってことになりそうだけれど。
なんだか合成麻薬による錯乱、というのが
全体の正体らしいのだけれど、どんなもんなんだろう。



さて、ここまでです。
私の「ゾンビ怖いね」話はここまでなんです。
ここから話は明後日の方角に飛びます。

世界経済は混乱と混迷を極めています。
各所に紛争の種はくすぶっており、
何かしらの暴力の臭いが濃くなってきています。
そして、2012年。
マヤ文明が予言した第五文明の終焉、なんていうとあっという間にオカルトになりますが
予言は置いておいても、世界が平穏無事で毎日晴天、っていう状態でないことは
おそらく誰も彼もが思っているはずです。

ゾンビ事件は、やがてくる未曾有の大混乱の予兆なのでしょか。
あるいは(こっちのが言いたかった)、
世界中の富に対して飽くなき執着を見せる一部の富裕層が
既得権益を守るために何かしら裏で糸引いているんでしょうか。

物事は、なんでも陰謀にすると面白おかしくもっともらしく見えるものです。
すべてがそんなテレビドラマみたいにシナリオをもっているわけではありません。
でも、です。
でも、何かを企んでる人間は必ず世界のどこかにいて、
あるいは事件の影に身勝手な「意図」が潜んでいないとは、
まだ誰にも言えないように思います。

ゾンビ事件が何を意味するのか。
やたらとゾンビをぶちのめすゲームの大量生産は一体どんな精神性なのか。

ちょっと、嫌な気分だよね。