消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

僕とネコと再婚物語~その4~

「戦略的引っ越し」


「あの時は大変だったわ。デリケートなのよね、あたし」

イヌは人につき、
ネコは家につくといわれている。

前妻との離婚から3ヶ月、
多少の違和感を持ってか、当初は夜泣きしていたネコも、
一週間もすると「まぁこんなもんか」と何も問題なく寝転び過ごしていた。
まだ日差しの厳しい2010年10月、
3年半住んだ高級マンションを引き払い、
僕は木造アパート一階へ引っ越すこととなった。

引っ越す際には引越し業者のアイミツを取ることが基本である。
アイミツ(相見積もり)を取る際のコツは、
・全業者を1日に呼ぶ
・4~3社で十分
・本命業者は最初から決めておく。ちなみに私は引越のサカイご贔屓
・一番安い金額を出してくれそうな業者を先に呼ぶ
・「○○さんはXX円出してくれたんですけどねぇー」と言って引越のサカイに詰め寄る
・ちなみに、前回の引っ越しの見積もりも持っておくとさらに詰め寄ることができる。

業者は必ず「今この場で決めてくれたらこの値段で」と言ってくるが、
大丈夫。別の業者に頼めばいいだけ。
大概の業者とも、落とせる値段は決まっている。

大体からして、引越し業者の中身についても似たようなもので、
私がバイトしていた折などは、
ある朝事務所を訪ねると「はい、今日はこっち」と引越のサカイの作業服を渡され、
次の日はアート引越センター、なんてことはザラである。
そもそも作業着を置いてある事務所が一緒である。
業者をわけている意味があるのか疑問なほどである。

中身は基本、似たようなもの。
ただし、荷物破損の補償金額や
同じ日にどのくらい仕事を詰め込まれるか、
時間をどのくらい融通つけてくれるか、
ダンボールはどんだけつけてくれるかなど、
細かいところでは確かにサービスが異なってくる。
私個人の主観であれば大手のほうが安心感があるが、
逆に小さい業者の方が丁寧で融通が利くとして
好んで選ぶ人もいるようである。



「家につくにゃー! 家につくにゃー!」
と騒ぐネコがひとつの懸念となった。
引越し業者選定は終わったものの、
当然のことだが、ネコは引っ越しトラックに載せてもらえない。
見積もりにも入れてもらえない。

時折漫画で、ダンボールに突っ込んだネコを運搬してもらうシーンがある。
(そのネコは運搬の恐怖に耐えかねて、到着後飛んで逃げる、という展開)
あれは基本的に違反である。
引っ越し業者が怒ることろである。

一番単純な選択肢としては、
引越し当日の朝、ケージに放り込んでおき、
荷物を詰め込んでる業者のお兄ちゃんのじゃまにならないところに置いておいて、
一緒に小脇に抱えて電車で移動、である。
引越し業者はこちらの家人をトラックに乗せてはくれない。
テメーはテメーでてくてく引越し先へ移動しなくてはならない。
それと一緒にネコも移動する、というのが単純な方法である。

もう一つは、預ける、という手。
預けるにしても選択肢があり、
友人、親兄弟、動物病院(ペットホテル)と様々。
引越し作業の邪魔になることは間違いないので
どちらかと言えば預けておくほうが安心である。

とは言っても、預けると言うてもこれまた単純ではない。
いい感じの位置に友人知人家族宅があればいいが、
引っ越し元、引越し先、それぞれからめっぽう離れていたら、
預けに行くだけで一苦労。
そしてネコやイヌがこちらの引っ越しを気遣って、
トイレや餌を我慢してくれるはずもない。
預ける、ということは、最低でもトイレ、餌、水をやる手段を用意して、
ずべてを持って行って預けなくてはならないのである。
2~3日程度であっても実は結構大事なのである。

そうなってくると動物病院の方がよっぽど話は早いわけで、
一泊5000円~1万円くらい、金で解決できるのは何にしてもいいことである。
動物病院やペットホテルであればトイレ道具や水飲み道具をわざわざ持っていく手間もない。
ネコのトイレなんか、「猫砂」とセットだから、運ぶのなんてほんと一苦労なんですよ?

引越し業者に必死で値引きをさせた金が、
ネコのペットホテル代に吹っ飛んでしまうのは手痛いというか、
なんとなく徒労感を感じるものの、
金ならあるのだから金で解決すべきところであっただろう。
ここは。

「金で!? 売る気!? ネコを売る気!? キャバクラ!? 風俗!?」
少しパニックを起こしているネコを捕まえケージに放り込み……
しかし僕は別の手段を講じることとする。
ここにある種、戦略的企みを持ちながら……ネコよ。ご主人様のため、役に立ってくれるよな?
「何よ!? イヤよ!? ニャート! ニャートは働かないわよ!」
今日のネコは、キャラが違う…。


「ネコ見に来ない?」
「行く♪」
言葉巧みに彼女を連れだした僕であったけれど、
彼女はまだ僕と付き合うことに納得しているわけではなかった。
「ネコを見に行っただけである」
と主張している。
それが大人の世界で通用するわけもなかろうに……。

しかし、「ネコ見に来させた」だけで彼氏ヅラするほうが発想としては危険、
ストーカー傾向である、と言うことは、実のところ僕自身把握してた。
油断はならねぇ。
油断はならねぇのである。

彼女は当然こう考えている。
東京に転勤してきたばかりである。
噂に名高いこの街には、この都市には、
当然素晴らしいファンタジーと月九ドラマが潜んでいるはずである。
東京ディズニーランドもあるし(地方の人にありがちな誤解であるが、ディズニーランドは東京には、無い)。
そんな夢の国であるのに、
女房に逃げられたバツイチ男、しかも7つも年上の男なんかより、
イケててハンサムでガイアが輝けとささやいているような「GOOD 男子(グッメン。今作った言葉)」が
私を待っているに違いない。白馬にまたがって。ばんえい競馬並みの脚力でもって。

一言で言うと
向井理クラスの男と付き合える可能性があるのにこんなバツイチに手篭めにされてたまるか」
である。
東京転勤半年で、
強引に現れた男が運命の男性であると信じるには情報が足りなさ過ぎたのである。


僕も浮かれポンチではなく、ちゃんと周りが見えている。冷静さを失ってはいない。
「だから、お前も協力してくれよ。一人より二人、だろぅ?」
「ネコは人付き合いも苦手よ。別に一人でいいわ」
ネコは基本的に人間の都合を考えない。空気も読まない。
あくまで自由に、あくまで気ままである。
しかしケージに放り込まれれば自由を失うし
預けられれば従うしか無い。


「引っ越すから、一週間ほどネコを預かってくれないかな?」
これは実際、魅力的な提案であることは想像されるだろうか?
ネコ好き、動物好き、とまでいかなくても、
ネコを毛嫌いしている女性でなければ、ネコと暮らすのはステキな体験である。
ネコカフェが曲がりなりにも利潤を出している現代。
ネコは人にとって魅力的な生き物である。

しかし本気で飼うとなると覚悟がいる。
ペットを禁止している賃貸物件の方が多い。
ペットは、命である。
「ちょっと気が向いたから」で飼い始めていいものではなく、
飼い始めた以上はいつまでかわからないけど最後まで面倒見る責任が生じる。
重い、ものである。

それが「一週間の期間限定で体験できる」
めちゃくちゃ魅力的である。
その一週間にももちろん責任は生じるが、
ネコの一生を負うことに比べれば軽い。

彼女は、「距離を取りたい」「まだ付き合ってない」僕との関係に尻込みしつつ、
「ネコを預かる」という大きな魅力と誘惑に逆らえず
…いや単に面倒見がいいので「困ってるなら助けるわよ」的に
二つ返事で承諾してくれた。

本当であれば、本来であれば、
ペットホテルに預けるなり、
あるいは当日、電車で30分もかからない距離なのだから当日連れて行けばいいだけなのに、
戦略的にネコは彼女の家に預けられることとなった。

「…納得いかにゃい」
「納得などイラン。使えるものを効果的につかっているだけだ」


ただネコを運ぶのと、
一週間、ネコを預けるために運ぶのとではまるでわけが違う。
トイレ、トイレ砂、餌、水飲み容器。
最低でもこれだけ必要で、
できればプラスして、寝慣れているクッション、大好きなおもちゃも一緒に持って行って、
普段とは異なる部屋でできるだけ快適にネコが暮らせるように便宜を図るべきである。
つまり、運ぶものが多い。

ここは友人が車を出して協力してくれた。
猫と猫用具を積み込んで、彼女のアパートへひた走る。
車の中でネコを出してみたら意外とうろちょろして面白かった。
普通は場所が変わるとビビって出てこないのであるが。


かくして戦略的に預けられたネコは、
わずかな時間で彼女のハートを鷲掴み…にしたのかもしれない。
してないのかもしれない。
してないかもしれないけれど、彼女の心の隙間にそっと、
抜け落ちないように逆刃のついた釣り糸のようにじっとりと、
「ネコの面倒を見る」
という責任感が植え付けられたのである。

小さな生き物の生命に対する責任は
今後じわじわと彼女の心を蝕み、
母性とまではいかないまでも、責任感として心をチクチクと刺すことになるのである。
例えば、
「出張中、面倒見ておいてくれない?」
といった提案に、チクリと痛む小さなトゲ。
僕は、彼女を逃すつもりはないのであった。
(東京にそんないい男なんて居ないって! 向井理はむしろ奇行種だから)



こうして、離婚発表から三ヶ月。
住み慣れた江戸川橋を離れ、ネコとバツイチは練馬区氷川台へ向かう。
これだけ大騒ぎした挙句、
1年半ほどで江戸川橋に戻ることになるとは、
もちろんこの時には想像もしていないのであった。

(つづく)