消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

『ちっぽけな本屋』 ①

 商店街の半ば、居酒屋とディスカウントショップにはさまれたその本屋は、いかにもちっぽけな、という印象を与えた。

かつて自分が小学生の折、足繁く通ったのは、その本屋の隣、今はディスカウントショップとなったかつての駄菓子屋が本当の目当てだった。

駄菓子屋の菓子をほおばりながらマンガ雑誌を一心不乱に読み漁るのは学校帰りの日課となっていた。

時々いかつい顔をした背の低い店主のおじさんが出てきて低い声で「食べながら読むんじゃない」と叱るのにもやがて慣れた。

私たちは昭和のその頃のガキたち同様、けして身奇麗で清潔であったわけではないけれども、
商品を荒らしたり汚したりすることがないように細心の注意を払っていた。

角メガネじじい(実にひどいあだ名を店主につけたものだったが)もそれはわかってくれていたのだろう。

注意するといっても叱ったり追い払ったりすることはなく、この一文にもならないちっぽけな客たちを黙認していることの方が多かった。

私たちは駄菓子を食べ終わるまでの十五分か二十分(とても大切に、ちびりちびりと食べたものだった)、
むさぼるように雑誌を読むと、今度は公園に向けて飛び出していく、といった有様だった。

冬の、日の短い時期には特にこの時間のやりくりに苦労させられたものだった。

というのは、その本屋の店先の明かりはお世辞にもまぶしいとはいえないものだったし、
とっぷり暮れないことにはなかなかスイッチをいれてくれなかったからだった。

そんな訳で私たちは、限られた放課後を非常に効率よくやりくりする必要があったのであった。

それでも、やがて自分で雑誌を買うようになるまでは、ついに週刊少年ジャンプも、コミック・ボンボンにも、すべてに目を通すことはできなかった。

駄菓子をほおばる、その時間だけで読みきるには雑誌は分厚すぎ、また、一ページごとに展開に驚き台詞に背景にと食い入るように見つめているのでは
とてもすべてに目を通すには無理があった。

子供ながらに、多忙だったのである…。