消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

人間の快楽志向は風船のようにフワフワと上へ。重石となるのは理性と言うよりロジック

わずか3歳の娘を前に、「学校のイジメが怖い」などと心配していたら早計だろうか。

しかしやはり怖い。

イジメられるのも、イジメる側に回るのも。

そういうことをしないように育てる子育て、

そしてイジメを発生させない組織論とはどういうモノだろう。

 

娘に面と向かい、図解することを想定してみる。

 

まず、イジメは原理原則として「イジメる側の病」である。

精神疾患、判断力欠如、

色々な表現もできようが、一番明白で一番単純なことがある。

「百害あって一利なし、なのに手を出す愚かな所業」

 

普通の知識と判断力があれば、

イジメがイジメる側にとって、何の利も無い、どころか将来的にみれば害であることは明らかである。

であるのにいじめてしまう。

これを精神疾患で片付けてしまうのは容易いが、

我々大人は良く似た事例を沢山知っている。

 

麻薬

不倫

快楽殺人

レイプ

痴漢

盗難

 

ようするに、犯罪行為と同じである。

何が同じか。

「目先の欲望、快楽、目的のために、明らかに将来的には大きな負債に、今、飛びつく」

 

麻薬で捕まる人に、皆思うのでは無いか。

「あーあ、せっかく成功してたのに台無しにしちゃってー」

不倫で職場を追われたり自殺に追い込まれる人も少なくないが、そちらはどうか。

「どーして未婚の男女がこれだけ余ってるのに、わざわざダメな方に手を出すのかー」

 

そう思えるのは、ロジックがあるからである。

理性とかよりは、知識と恐怖があるからである。

将来的な不利益があまりにも大きい、そんなことは火を見るより明らか。

このことはほとんど必ず人々が得る知識である。

 

イジメ、なんて、

昔はいざ知らず、

今時はSNS、ブログ、さまざまなメディアと媒体にデータが残せる時代にあって、

履歴書よりも確実に世界に刻まれる前科になり得るのに、

不利益の大きさなんて計り知れないのに、

なぜ手を染めるのか、である。

 

「この人に虐められてました」

と被害者が申告したり、Twitterでつぶやいたり、Facebookに書き込んだら、

それは大学の審査の場、バイトの面談、就職の時の人事部、恋人同士になれるかもしれない相手、

が、容易に手に入れられる情報としてインターネットに拡散されるのである。

 

むしろその事態を恐れて、お互いに監視の目で見て上部だけで付き合う生活になりそうなものだが、

イジメはむしろ陰湿化する傾向にある。

…被害者が生きている限りネット拡散のリスクがあるのに、何をどう隠せると言うのか…

では被害者が自殺すれば秘密に処理できるか、と言えば、むしろマスコミまで加わって事態を暴かれていく。

 

そういう未来以外見えないのに、なぜイジメに手を染めるのか。

なぜ麻薬に手を染めるのか。

なぜ不倫に手を染めるのか。

なぜレイプに手を染めるのか。

 

この先は犯罪心理学の分野になるだろうから私は素人的な意見、見解しか言えない。

脳の疾患、前頭葉の損傷、幼少期のトラウマ、

そんな様々な原因分析があるとは思うのだけれど、

 

私のような一般凡人が平々凡々な手段として娘に教えることは、こうだろう。

 

「イジメをする人も、麻薬をする人も、将来必ず捕まって裁かれるのに、今だけの快楽に走っちゃったんだよ」

「それは特殊なことなんかじゃない。人間の欲望はいつでもフワフワと風船のように浮いていて、

手を離せばいつでも天高く飛んでいくんだよ」

「君だって、太っちゃう、と言いながらお菓子を食べるだろう? 成績が下がると分かりながら勉強をサボっちゃうだろう?」

「人間は沢山の風船を持っている。いつでもフワフワだ。その風船たちをしっかり握り、飛ばさないようにしておくには、知ることだ。

知識という重みが、手放した時の想像を明確にし、抑止力になるんだ」

 

学ぶこと。

ただひたすらに多くを学んでいくこと。

学びは、次の学びを呼び、

想像力はまだ見ぬ世界を連れてきてくれる。

しっかりと勉強すること、勉強し続けること、勉強習慣をつけること、には、

そういう意味と価値があるんだよ。

だから公文式に行こうね。

 

娘が10歳になったら、伝えたい話。

 

 

そして…

麻薬も不倫もレイプも、多分快楽殺人も、

脳の疾患とか精神的な病とかの可能性があるから、

もし自分でフワフワしたものを押さえられない、と思ったなら、

いつでも相談しなさい。

そういう病もあるんだから、「自分が悪い」なんて一人で抱えないで、病院に一緒に行こうね。

 

 

追伸、追記。

「学ぶこと」だと抽象的すぎるので、明確にしておきます。

本だよ、本を読むんだ。

なんでもいい、どんなジャンルでもいい、どんな厚さでもいい、とにかく本を読むんだ。

ネットじゃダメだ、本だ。

出版され、校閲されてる本を読むんだ。

もちろんそういう、出版されてる本だって、何かしら恣意的な情報の偏りはあるかも知れないけど、

それでも、誰のチェックも入っていないようなネットの文章よりは良い。

そして、沢山の本を読むことで恣意性に気付けたり回避できたりする(ネットだとむしろ偏向を助長するように、似たような文章ばかりへ迷い込む)。

 

とにかく本だ。本を沢山読め、娘よ。

本を沢山読める幸せにこそ、感謝せよ。

(大昔は印刷技術なんか無くて、書物は人力コピーで貴重だったんだよー?)