選挙について娘に伝えたい話
(なんか変に捻れた猫の写真は本文とは一切関係ない我が家の娘の1人、です)
…まぁ選挙権を得てから話すべき話であるし、
選挙権を得た20歳だか18歳だかにこんなことを改めて説明しなきゃならんとしたら…
それは公教育、義務教育の敗北のような気がしないでも無いけれど、
一応書いておく。
「民主主義における選挙とは、投票率を上げるために行くべき国民の義務なのだ」
「極論、誰に投票してもどうでもいいのだ。行きさえすれば」
どう言うことかと言うと…
・投票率が高いと、被選挙者である候補者や現職の議員は、国民(選挙区)全体にとって良いことをしなくてはならない、と考えるようになる
・投票率は政治家、議員に対する抑止力
・投票率が低い場合、特定の有権者にのみ有利な政治活動が「有効」になってしまう
ということ。
投票率が上がりさえすれば、
誰が当選したかとて、
その当選した議員が見なければならない国民、票田が「広がる」ので、
誰が当選したって構わない。
投票に行きさえすればいいのだ。
今日、東京都議会選挙があって行ってきた。
未就学児の娘はもちろん、何のために公民館に行ってるのか分からず、いつものように騒いでいた。
「お友達と遊んだ所だ」
とコロナ前の思い出を話してくれ、泣けた。
幼い幼い2年前のことを覚えていると言うのか。
頼もしい記憶力だ、
あの、子供達の乱痴気騒ぎは無駄では無かったのだな…(親は大変だったが)。
都議選に先んじて、NHKがまとめてくれた、
候補者達が回答したアンケートの回答を眺めてから行こう、と思った。
…そして、当たり前のことを思った。
https://www.nhk.or.jp/senkyo/database/togisen/2021/survey/
「完全に意見が一致する候補者は居ねぇ」
当たり前である。
コロナ対策、経済対策、オリンピックの方針、都の方針、国の方針、
全項目の全パターン組み合わせは何千通りにもなる。
全パターン組み合わせがなけりゃ、完全合致な意見の人など居ない。
だから、「こいつのこの意見は断然受け入れられねぇ」と思う点は、あった。
「この観点は俺と一緒だけど、ここが違う…」
私の地域は候補者4人である。
意見が近い候補者、すら見つけるのは困難だ。
…だから投票に行くのは無意味か?
自分の意見と合致しないから投票しないか?
自分の意見はマイノリティで、当選しなさそうだから行かないか?
否、違うのだ、娘よ。
投票率の上に、得票数でもって当選した議員は、
まず、投票してくれた人たちに感謝し、その人たちにとって良い政治をしよう、とするだろうか?
するだろう。
そして次回の選挙もその得票数だけで当選できるだろうか?
この点が、投票率により大きく変わる。
100の全体票から、50を得て当選した候補者がいるとする。
残りの50は、分散して各候補者が得ている。
次回の選挙で、対立候補が1人だけ、だったらどうなるか?
相手に50の票が集まったら、自分は落選するかもしれない。
ギリギリ当選だ。少しでも良い政治活動をして、評価を上げておかねば危ういと言える。
そして、「100のうち50を確保すれば盤石」だった以前の状態から、分母の100を、
120とか、150とか、
分母を増やすことで分子50の重みを減らしていくこと。
「そう言う状態を作るのが投票率の増大」なのだ。
50で当選できる選挙区があるとする。
その50だけをがっちり確保しておけば盤石、とみなせれば、その50のための政治で充分だし、
なんならそのら50にだけ利益を流して行けばかなり手堅い票田になる。
それを薄めるのが投票率なのだ。
50じゃ足りない、60、70、
もっといるかも知れない…と、
そういう状態を作ることが投票率を上げること。
そういう状態だと政治家は50のための政治をするわけにはいかない。
60、70と評価を広げていく政治をしなくてはいけない。
そう、政治家に思わせること。
それができるのが投票率であり、
それが民主主義の「健全な抑止力」となるのだ。
だから…
与党や政治家は、投票率が下がるようにしたがる。
コントロールできる量に抑えて置きたがる。
だから選挙の強制義務化は行わないし、
電子化も進まない…のだと思う。
むしろ投票率を上げないために妨害さえしてる、と言える(政治への興味を持たせなくしたり)。
我ら有権者は、そんな政治家たちの「保身」に冷水浴びせてやらねばならん。
そのためには投票率を上げるのが手っ取り早く最も効果的!
…と知っておくのだ、娘よ。