消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

原発の正体をもう一度

もし色々な嘘がまかり通ってるとしたら
どうであろう。
僕らは自分等が思ってるほど世の中に精通してるだろうか。
秘密や嘘や欺瞞を見分け
すべてに正しい判断を下せているか。
すべてではないにしても、ではその一部、
いやたった一つ。
原発についてはどうであろうか。

そんな問い掛けをしてくる本、らしい。


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日々くらしていてつくづく思う。
電気は必要だ。必須だ。
娯楽のためにも。
娯楽を得るために僕らは働いてる。
もし他人が、必要最低限の電気消費で生きろ、
と言ってきたら、
僕は嫌な顔をするだろう。
金を払うから電気をくれと言うだろう。
それは人の罪なのか?
足るを知らないダメな人間なのか?

スマフォも、コタツも、
エアコンも、照明も、
ゲームも音楽もパソコンもテレビも。
我慢が正しい道なのか。

だが、少なくとも、
原発が与えてくれる享楽なら
後ろ髪引かれながらも、
たどたどしく戸惑いながらも、

「じゃあ要らん」
そのぐらいの節制は言えるんじゃねぇか?