消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

METAL GEAR SOLID4/KONAMI

※ 長い割に、メタルギアというゲーム知らない方には詰まらないと思いますので
メタルギアファンに該当しない方は読み飛ばし願います。

1987年、第一作「メタルギア」発売。
MSX2 で出たとのこと。
当時、既にMSX の、ファミコンに対する劣勢は明らかであったと思うけれど
ファミコン派、SEGA Mk.3派などに混じって、
確かにMSX 派というものが存在していた。
私もMSX ユーザだったのだけれど、MSX にこだわりがあったわけではないので
ファミコンを持っている友人を羨ましく思っていた経験がある。
1990年、メタルギア2MSX2 で発売された。
最近発売されたメタルギアの中に、この当時のゲームが入っていたので
やってみたが、
当然の90年代。
ドット絵で表されたマップの中で兵士から逃げ惑うアクション性の高いゲームで
今現在のメタルギアソリッドシリーズとは趣が多少違う。
隠れて、逃げて、また隠れて、という、
当時のアクションゲームとは異なる消極的なアクション性は確かに新しいが、
この時代のハードの制約もあり、ゲームとしては単純なものになっている。
そして、ハードウェアをSONY Play Station へ移し、
8年の歳月を経て発売されたのが、「メタルギアソリッド
ここまでの前二作とは明確に線を引くことになるのがタイトルでも現れていて、
メタルギア」ではなく「メタルギアソリッド」となっている。
私がこの「メタルギアシリーズ」に魅せられるようになったのも、
遅ればせながらではあるがこの「メタルギアソリッド」からであり、
「かくれんぼ」ゲームに夢中になった。

2001年、PS2 にてメタルギアソリッド2 発売、
2004年、PS2 にてメタルギアソリッド3 発売、
その後いくつかの派生作品がPSP などで出て、
2008年、現行HW としても最高峰のPS3 発売にあわせ、「メタルギアソリッド4
が発売された。
その後、2010年、メタルギアソリッド ピースウォーカーPSP にて発売されている。
(↓もっと色々知りたい方はWikipedia へ)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BF%E3%83%AB%E3%82%AE%E3%82%A2%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA

何が言いたいかというと、
メタルギアソリッド」以降、ナンバーのついた合計4作品が
メタルギアソリッド四部作」と言われ、
その最終章であり、現時点では最高峰となるのが、「メタルギアソリッド4」である、
っちゅう話しである。
そして私はPS で出た「メタルギアソリッド」に大いにはまってしまい、
シリーズを追いかけながら小島秀夫監督作品に魅せられていった、という話でもある。

小島秀夫氏は現在、世界的なゲームクリエイターとして著名であって、
外国のゲーマーの間ではトップレベルの知名度
一時期は日本人で知っているのはイチロー小島秀夫、と言われるくらいに
なぜかものすごく海外で知られている人である。
彼の名を世に知らしめたのは間違いなくメタルギアシリーズであり、
殊に大ヒット作となった「メタルギアソリッド」が出世作である、と思う。
他にもストーリー性とゲーム性を高く評価されているアドベンチャーゲーム
スナッチャー」「ポリスノーツ」なども海外評価が高いらしい。
一方で低年齢層向けの「ボクらの太陽」シリーズをゲームボーイなどで出したり、
SF ロボットアクション「Z.O.E」シリーズがアニメファン、ロボットファンあたりに受けて
幅広いファンを獲得している。

つうわけで私もメタルギアソリッドを皮切りに小島秀夫監督先品に手を染めていき、
ポリスノーツANUBISZ.O.E 続編)は滅法やりこんだ。
メタルギアソリッド2 は何週もクリアしてドックタグ集めにせいを出し、
メタルギアソリッド3 ではあまりの難しさに泣きが入った。
メタルギアソリッド ピースウォーカーも友人らと通信プレイで楽しみ、
最近流行っている、HDエディションで出ているものを全部揃えた。

何が言いたいかと言うと、小島秀夫ファンである、っちゅうことである。
そして満を持してプレイした、愛すべきメタルギアソリッドシリーズの最終章、
「METAL GEAR SOLID4 GUNS OF PATRIOT」を昨日プレイし終えた達成感を元に、
ここに駄文ではあるが感想文を書こうとしているわけである。
ありったけの愛をこめて「クソゲーだった」と。

メタルギアソリッドはPlay Station の高スペック機により産まれた。
美しいグラフィック、大容量のCD-ROM(でも2枚組になってた)。
アナログスティックやデュアルショックといった、
SONY が最も勢い良くゲーム業界を盛り上げていた頃の作品である。
そして、非常に物語性が強く、映画的な作品であった。良い意味で。
ファミコンスーパーファミコン時代には考えられもしなかった、
セリフを声優がしゃべるというドラマ性。
細部まで書き込まれたグラフィックの中で息をひそめ敵兵に見つからないように進む、
リアリティ。
やたらと持ち込まれた軍事、歴史の豆知識が、
バックボーンとなってゲームの物語を骨太に分厚くしていた。
どれもが当時のゲームとしても群を抜いており、
それらがすべてうまく、美しく融合して「面白いゲーム」として機能していた。

小島秀夫監督は、先の通りMSX2 からゲームを手がけるようになった方であり、
もちろんその前段階ではMSXファミコンといった、
容量の少なく表現の限界がいくつも存在するハードウェアの中で、
どれだけ面白いものを作れるかに挑戦し続けてきた人である。
やがて時代が進み、当時では考えられないほどの「表現」が可能になった。
例えばPS では、ファイナルファンタジー7~9 が「映画のよう」と揶揄され、
髪の毛一本一本がゆるやかに動くCG が世の中の人々、プログラマを中心に
衝撃を与えていたし、
そのFF シリーズがPS3 で出た時には、探索するマップの一本道加減に
いろんな意味で人々が度肝を抜かれたものだった。
このファイナルファンタジーの歴史は、ハードウェアスペック向上の歴史にマッチしていて
グラフィックの表現能力、メモリの増量が、
ゲームとしての面白さと言うよりも、映像の美しさにばかり手がかかってしまい、
「映画のようなゲーム」と悪い意味で評されることとなる歴史でもあった。
ただただ美しく書き込まれたグラフィックの中で、
ボタンを連打していれば物語が進んでいってしまうような、
そういう「ゲーム性の喪失」の歴史であった。

どうやら、小島秀夫監督、メタルギアソリッドシリーズも、
同じ方向に進んでしまったらしい。
それが、私が「METAL GEAR SOLID4」に感じたことであり、
この感想文の主題のすべてである。
ファイナルファンタジー同様、グラフィックはものすごかった。
ものすごいことになっていた。
しかし、ゲームとしては駄作という他無い出来であった、と。
ゲーム性の是非は人の感じ方とは言え、
実は小島秀夫監督自身、Twitter で同様の趣旨のことをつぶやき、
どうやら反省しているようである。
そして「映画のようなゲーム」を作ってしまったことを認めている。
あるゲームの中では小島秀夫監督の言葉として「僕の半分は映画でできている」
と書かれている。だから監督は映画が大好きなのだろう。
そして映画を作りたかったんじゃないか、と思った。
私が「METAL GEAR SOLID4」にかけたプレイ時間は22時間ほどらしい。
短いような、長いような。
このプレイ時間に、いわゆるデモシーン、イベントシーンの時間が含まれているかは、
不明なのだけれど、
プレイした感想としては
「ほとんどコントローラ使わず、イベントシーンだけ見ていた」
というものであった。
長すぎる。話が、イベントシーンで語られる話がとんでもなく長い。
ストーリー性を保管するために延々とキャラクターたちがしゃべり続けるのだが
まぁしかしどうでもいいことをいつまでも何度もよく話し続けるものだ、と。
長さもそうだが演出もひどいもので、
シリーズ最初の作品「メタルギアソリッド」では素晴らしくカッコ良かった映画的演出が
信じられないほど冗長かつわざとらしくかつ意味のないものになり、
一生懸命感動的にしようとしている涙の軽いことといったら無い。
共感のまるで得られないシナリオ、展開、セリフ回しとなっているのだ。
どうしてこんなことになっちゃうのだろう?
誰か監督を止める人はいなかったのだろうか?
テストプレイした人たちは障害票に起票しなかったのだろうか?
雷電の登場シーンは3分の1未満で十分」とか
「敵のロボットが非現実的すぎて冷める」とか
「せめてロボットが叫んだり吠えたりするのやめてくれ」とか
「なんか全員が背負ってる悲哀が重すぎるわりに内容が軽い」とか
「随所に出てくるギャグ的演出が異常にウザい」とか
「イベントシーンは全部3分の1でいい」とか
まぁこれらが言いたいことの大体全部なのだけれど
エンディングにいたっては私、一時間半の中でコントローラ触ったの数回でした。
それも全くどうでもいいアクションを取らされただけ。

どうしてこんなことになっちゃうのだろう?
エンディングで流れる、冗談みたいに長いスタッフロールは、
映画同様、この作品に関わった人数の多さを物語っている。
その中の全員がストーリーやゲーム性の根幹に関われていたとは思わぬが
それにしてもこれだけの人数がよってたかって作り上げたのが「あれ」というのが
なんともかんとも信じられないおそまつさである。

グラフィックは素晴らしい。
あまりの素晴らしさに、敵兵がどこにいるのかわからなくて困るほど。
(即ち、良さがゲームの楽しさとつながってない)
システムも、「ゲームでここまで出来るのか!」と舌を巻くほど。
おかげで複雑な操作やルールとなってわからないもの大半。
使わなかったアクションも多い(寝返り撃ちとか、必要だったのだろうか・・・?)
ストーリーもものすごい詰め込みっぷり。
詰め込んだ分だけ解説をしてくれるのだけれど、その音声もすごい量。
まーほんとよく喋りますわ。聞いてて疲れるほどに。
という感じで、ファイナルファンタジーシリーズで言われ続けていることが
そのまま当てはまる駄作感満載の結果だったのである。
つまり、凄さと努力が肝心のゲームの面白さにつながってないのである。
正直、イベントシーンやストーリーはもっと単純で端折ってくれていいから
普通にゲームをしていたかった。
イベントシーンの合間に挟まれる「おまけ程度の」ゲームシーンは、
確かに複雑なものではあったが、
非常に面白く、スリルと興奮のあるものであった。
だから多分、ゲームとしての出来はそんなに悪くないのだ。
イベントシーンを全部スキップさえすれば、ある程度よくできたゲームとして評価できるだろう。
と、いうことは、だ。
おそらくは金と頭脳と人材リソースをやたら投入したはずの、
「イベントシーン」が、足を引っ張っていた、というわけだ。
なんとも悲しい結果ではないか。
でも、結局本質を踏み外していたということなのだろう。その頑張りが。
メタルギアソリッドはゲームなのであり、
ゲームを求めて人は購入する。プレイする。
だからゲームに力を入れるべきだったのだ。
本質。
つくづく思わされる。
周囲からは信じられないことなのだが、
意外と渦中の人間というのは、この本質を見失いがちなのである。
本質。核。
私も仕事で思い当たることがある。
いい勉強させてもらった、として、
不満の多かったプレイ時間22時間の想いを消化し、
面白かったメタルギアソリッドシリーズをやり直すことにしよう。
本質。
そういやこのブログの本質ってなんだったか。
そうだよ、灯台下暗しともいうように、本質、難しいものなんだよ。
しかしほんとにほんとに、
ほんとに残念ですよ、小島監督
結構前から「やりすぎ」なところは感じてましたが
ここまで「やりすぎ」ちゃうとは思いませんでした。