消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

好き、は雑草ではなく育むべき花だ

f:id:kato_in_the_sky:20210626071159j:image

 

 

(肉球を見せてますが、本文とは関係ない猫です)

 

「好き」という気持ち、感情を、

恋の始まりを、

何かしら…夏の午後の稲妻のように、

突然発生的に煌めき突き刺さるようなもの、

と思ってる人は多いんじゃなかろうか。

それこそ、

少女マンガで曲がり角でぶつかって始まる、みたいな。

(そんな展開の少女マンガ、稀有だけれど)

 

あるいは、「何もせずに放置してても生まれ育ってくる」、

…雑草、みたいな?

 

自然に、

なんの工夫も努力もアクションもせず、

何でもない日常から自然に生えて青々と生い茂る…

…雑草みたいな?

 

あるいは、こんな風に考えてる人もいるんじゃなかろうか?

試行錯誤とか手を尽くすとか何かしら人為的な作為的なアクションをすることは、

恋という神聖にして不可侵な領域に対する無礼に当たるのではないか、と。

 

…「好き」を神格化しすぎて信仰の対象にしてしまってる…

 

時折人は、

自然であること、

作為的でないこと、

なーんもしない事を大事にし、至高であるとする海原雄山になることがある。

何もしていないのに奇跡のように生まれ育っていくものこそ尊い…と。

 

それ、雑草だからね?

何んの努力も工夫もせずに生えてくるのを鼻歌しながら待って刈り取ろう、

神の御心のままに

なんて…都合良すぎるぞ。

 

恋とは…「好き」とは、

土壌を耕し、種を蒔き、水をやって、

(むしろ邪魔な雑草は引っこ抜いて)、

大切に育むべき花、なんだからね?

…花と雑草どっちが偉いかとかそう言うこと言いたいんじゃないけど、

手間暇かけて努力すべきもの、であるのに、

「神が与えてくれる自然発生的」信仰が確実に、ある。

 

神、困るよ。

ちゃんと育ててくれなくちゃ。

ちゃんと手間暇かけてくれなくちゃ。

そして、咲いた花はほっとけばすぐに枯れる。

咲いた花もちゃんと慈しみ、手をかけなくては、永くは持たないのだ。

付き合ったり結婚したら水やり肥料を怠るアホがいるけれど。

むしろ咲いてからの方が大変なんだからね。

虫や雑草を取り除き(浮気不倫の誘惑)、

美しいハリを保つために適切なタイミングで水をやらないと、

枯れる。

 

「好き」信仰者は、祝福として甘んじて受けるにとどめたりするけど、

感謝すべきは神に対してではなく、相手に対してである。

 

花を咲かせる努力をしよう、

咲いた花を大切にする努力をしよう。

 

娘が、少女マンガにハマったらコンコンと教示したい、話。