消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

僕とネコと離婚物語~ 100 %勝利へ~その13

さて、私は今ネコと二人で暮らしている。
ネコは気まぐれでワガママで、私が構いたくないときに限って命令口調で甘えてくる。
「構え」
と言って甘えてくる。
それでもそんな同居人がいるだけで、私は一人ではない。
仮ではあっても仮面ではあっても家族をもっている。


「全然ネコが出てこないわね、この物語」
ネコが言う。メスなのだ。
「看板に偽りあり、ね」
「はじめは、こんなつもりじゃなかったんだよ」
私は私がエサをやらなければ三日も生きられない同居人に言い訳をする。
「こんなシリアスに全部書くつもりなんかなかったんだ。
 ネコを取り合って二人は別れたとか、そんな話でお茶をにごすつもりだったんだよ」

「さみしいのね」
とネコは哀れな虫けらでも見下ろすような目付きで私に言う。
「誰彼かまわず独白したいのね」
「捨てるぞ、キミ」
と私はさして腹も立てずにたしなめる。
「表現のすべては、マスターベーションさ」


ぐるるるるる。
ネコは喉を鳴らす。
この唸り声の周波数は骨密度を高める周波数であることが分かっている。
どうして鳴らすのか、なぜ骨密度を高めるのか、解明されていない。
怪我したときに早く治すため、とか
寝てるだけではなまってしまう体の健康を維持するため、とか諸説言われている。

喉をなでてやると、気持よさそうに目を細めた。
やめると非難めいた鳴き声で抗議する。2分くらいは最低でも撫でてやらないと気が済んでくれない。

そのまま、原稿を書いている私の腕の上で丸くなってしまった。
「また太ったんじゃないのか」
5キロ超の重みを受けながら指先で原稿を書き進める。



えぇと、どこまで書いたんだったか。



6章「条文」

私の手元に、妻がサインし捺印した「離婚協議書」と
不倫相手がサインし捺印した「契約書」がある。
かいつまんで内容を記すと


「離婚協議書」
・夫婦の財産の一切を夫のものとし、夫が許可したものだけを持ち出すことを許すものとする。
・今後一切の連絡を不可とするが、問題があった場合に然るべき手続きを経て裁判とする。

「契約書」
・不貞行為に対する慰謝料として夫に〇〇円支払う。
・支払いは分割払いを可とする。
・不貞行為に関する情報と資料は不倫相手の両親、職場へ明かさないものとする。
・支払いに滞りがあった場合に裁判の上慰謝料を増額する。



「まぁかくして夫婦の財産であるところの、キミは私の手元に残ったというわけだ」
「財産扱いなのね、あたし」
ネコは別に不満というわけでもないらしい。
「財産というか……負債かもしれないな。キミの抜け毛に悩まされる生活から解放される、
 と妻は喜んでいたしね」
「日本で長毛種なんか飼うからよ」

ネコは大きく伸びをして欠伸をすると、ようやく私の腕からどいてくれた。
カリカリと2,3口エサをかじると、適当に砂かけ行動をして寝転がってしまった。


砂かけ行動は野生の名残で、食べ残したエサを隠しておく行為と言われている。
しかし見ていると分かるけれどもその行動は多分に様式化されたもので
明らかにエサと違う方向へ砂をかいていたりする。
その雰囲気もおざなりというか義務感だけというか
真剣にエサを隠すつもりなんか全くないように見える。
お前絶対義務感でやってるだろ。


私は上記の瑣末な、たった一枚の用紙で持って
ネコを含む生活の殆どを手に入れた。
妻だけが、ぽっかりと抜け落ちたように消えている。


不貞行為を働いた配偶者は「有責配偶者」と呼ばれ
基本的に権限、権利などが認められなくなる。
例えば離婚の請求なんかもそのひとつで、
私が同意しなければ離婚もできず生殺しの状態で日々を過ごさせることも
可能であった。

家財道具や夫婦の財産についても同様であるけれども、
厳密に取り決めるなら裁判による協議離婚をしなくてはならない。
それが面倒であれば互いの了解の上、条件を自由に取り決めればいい。


「慰謝料をとって社会的に抹殺してやればいいのに」
相談した弁護士の友人はそう言った。
そうして私の気が晴れるならば、そういう選択肢もあったかもしれない。
晴れるだろうか? そんなわけはない。静かに終わるしかなかった。


ただ、私にもやりたいことがあった。
書面は、Google さんで調べまくって、完璧な文書、漏れのない条項を作成した。
そして、あえてそこから条項を削った。穴を作った。
その一つが「第三者漏洩の禁止」であった。
この、一般的には当然明記されるべき条項を抜いたお陰で
私はこうして衆人の目に触れるブログという公共の紙面に
思うままに自由に事の顛末を記載出来ているわけである。
書面で約束したことは守らなければ罪に問われる。
逆に言うと、書面で約束しなかったことは何をやっても構わないのである。


私はほとんどすべてを手に入れた。
妻には請求しなかった慰謝料は、すべて不倫相手にふっかけた。
ささやかな貯金も家財道具もすべて置いて行かせた。
ご丁寧に婚約指輪まで置いていった。
そしてネコも。


「離婚するとしたら、淋しいだろうからネコは置いていってあげる」
常々妻は冗談めかしてそう言っていた。
現実になってみると、ネコとバツイチとの二人で、
なんとなくバツの悪い生活が残っただけだった。


「何かが間違っていたのかも知れない」
私がそういうと、ネコは転がったまま面倒くさそうに答えた。
「正解が必ずあるとは限らない」
その通りだ。答えやゴールがあると思って生きているのは、
ファミコンや受験勉強に慣らされすぎた私等の世代の甘えでしかない。
世の中は往々にして入り組んでいて、大抵の場合、正解なんかはない。
現実的選択肢があるだけだ。


「あなたの独白なんて白けるだけよ」
ネコが白い腹を見せながら嘲笑う。
「物語を書きなさい。ワイドショーのように、面白おかしく、赤裸々に」
私は苦笑する。
周囲に知らせれば知らせるほど、出来事は現実味をなくしていって物語性を帯びてくる。
寓話化してくる。

すべてを語りつくすことなんか出来ない。
前提条件、裏設定、いくつかの重要な言葉。
それらのすべてを、人生のまるごとを書き出すことなんて不可能である。

だから


私事の報告は物語にしか成り得無い。
どれだけリアルに語ろうとも、それは事実を模したフィクションに過ぎない。
事実から背景を削ぎ落とした、薄っぺらい物語を、語り部として語るだけである。
やがて語り部本人でさえ、その物語を信じ始めてしまう。
事実とは何か?
それを記憶する、最後の一人までもが忘れ去ってしまったなら、
果たして失われてしまったかつての事実に、
いかほどの価値があったというのだろう。


「さぁ。価値のない話をしなさい」
時計は二時を廻っている。
「価値のない言い訳はもうやめて」


(つづく)