消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

教育するのは誰? 成績あげるのは誰?

ふらふらブラリと2ちゃんまとめを読んでいたら、
こんな内容があった。

中学生の息子の小遣いを出来高制にしており、
成績が上がらないと小遣いを上げない。
(ゼロ、じゃなくてベースアップ制らしい)

しかし息子は小遣いの少なさに完全に不貞腐れており、
欲しいものをねだっても買ってもらえないことへ、
長年のストレスから父親への反骨心が半端ない様子である。

相談者である母親は、頑固な父親と思春期の息子に挟まれ
やれやれ困った困ったと憔悴している様子である。

http://kikonboti.com/archives/36692407.html


さてさて。
学校の成績とは何か。
勉強とは何か。
これは我々も子供の頃から気にしていた事案である。
「古文は実生活ではいらない。論破できる?」
なんて挑発的なスレが立ってたこともあった。

何が勉強には必要か、
何が誰のために何の機会に必要か、については
ここで語るのは控えるけれど、
古文の知識が必要なのではなく、
古文を勉強する、ということが必要なのである、
と言ってみたい。


さて、成績と小遣いを歩合制にされた少年の件だが、
歩合制、
あるいは褒賞制には一定の理解を示すとして、
その制度が正しく運用されたのか、
効果的に運用されたのか、について
私が疑問に思う事がある。

件の家庭は父親がかなり強権を持ってるようだけれど、
制度の執行者としての父親は、何をしたのか、と。
制度を正しく運用すらふために両親は何をしたのか、と。

父親はこう言うかもしれない。
「社会にでたら、報酬は成果に対して与えられるし、
報告連絡相談がなければ対処などもたらされないのだ!」と。

…本当だろうか?

例えばここに、今日配属されたばかりの新人がいるとする。
父親は彼にこう命令するだろうか?
「仕事はここにある。これらを完了させろ。でなければ給料は無しだ!」

…する?

あるいはこういう例はどうだろう。
部下に対して、
「成果を出したら出世させてやる! だが成果を出さなければ一生上にはやらぬ!」
こっちの例はなんとなく理解できるかも知れないが、
私が評価者だったら、
こう言って部下を働かせてる上司をどう評価するだろうか。

上司がその部下に対し、成果を上げるために導き、
ノウハウを伝え、
達成できる人材へ育成しているなら、OKだ。
その上司には一定の点数を与えるだろう。
だがしかし、「成果をあげろ!」の一言だけで、
何一つ価値のあるアクションをとらない上司にはどうだろう?

お前に育成能力がないから成果が出ないんだ、
と降格させるだろう。


つまりそういうことではないか?
成果主義、褒賞制は構わないけれど、
そのために上司(父親)は何をしたのか、と。
何かしらの育成要素はあったのか、と。

私は今、母親が私にトレーニングペーパーなる冊子を与え、
夏休みなどに厳しく指導されたことを思い出す。
与えるだけではなく、答え合わせをし、
解説もしてくれた。
近所のママさんが娘に英会話教室みたいなことを始めた時は、
月謝を払って指導を仰いでくれた。


私は今回紹介した相談者の家庭について知らない。
しかし育成要素のない指導は、価値がないどころか、
あなたの(両親の)価値がない、と断じたい。
願わくば、子供のモチベーションを上げることもまた、
育成担当の仕事であることに、
早く気づいて頂きたい次第である。