消えかかる記憶の寝言3

渡るつもりなんてなかったのに、人生常々渡り鳥。カトウリュウタの寄港地ブログ。

夏目漱石「三四郎」Audible

夏目漱石三四郎」Audible

脳科学者の茂木博士の著書にて、夏目漱石が絶賛されていた。
そういえば自分は夏目漱石をどれだけ読んでいただろか…、
こころ、吾輩は猫である、それから…えっと…。

せっかく日本人に生まれたのだから、美しく心に染み渡る日本文学と言うものを、
多く読んでおきたいものである、
夏目漱石をかじった程度で終えていたのは大変にもったいなかった、
そう反省して読み漁ろうと企画した次第である。

そう、まずは痛快柔道物語の「三四郎」からいこうでは無いか。
…とこの時点で、文学史ゼロ点解答の情けない勘違いで読み始めてしまった。
(おそらくは、小林まこと「1,2の三四郎」と間違えていたと思われる)

九州出身の朴念仁、小川三四郎を主人公に、かつタイトルに据えた当作「三四郎」は、
当世の(明治末期)青年の悶々とした青春時代を、彼を取り巻く人達の関わり、動きなんかを含め、
叙情的に描いた作品である。
2010年台の現代で表現するなら「日常系」って乱暴にくくっちゃって良いのではないだろうか。
大きな事件が起こるでもなし。
大恋愛と三角関係がドラマチックに展開するでもなし。
特徴の薄い若者主人公の学生時代が、これまた特徴の薄い日々とともに描かれるだけである。

その清々しく若々しく、
そして明治末期の男と女の模様が生き生きと描かれていて、
「あぁ、青春」
(それも、完全燃焼系体育会青春ではなく、文学と季節の移ろいに気持ちを注がれる若き日々、青春)
そんな淡々としつつもみずみずしい小説であった。
主人公の淡い恋の物語も内包しつつ、
少し癖のある友人知人が現れてちょっと翻弄されちゃうところは、
あぁ、この夏目漱石が原点にして原典だったのだなぁ、と知ることができた。
少女漫画、青春文学、極論高橋留美子に至るまで、
「主人公の影が薄い日常系」作品の、珠玉の名作であった。